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山形県戸沢村 キムチづくり、韓国の花嫁さんが指導 家族同士の付き合い、きずな深まる |
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戸沢村企画調整課主査 |
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庄司純司 |
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最上川、村を貫流
戸沢村は山形県の北部に位置し、面積二六一・二五平方キロ、人口は約六千八百人、県内を縦走する出羽丘陵にあり、標高五百〜千メートル以上の山々に囲まれている。この山麓地帯のほぼ中央部を日本三大急流の一つ、最上川が東西に貫き、庄内地方を経て日本海に注いでいる。
総面積の八五%が森林原野という山村地帯で、基幹産業は農業といえども耕作面積は少なく、最近は第二次、第三次産業へ就業人口が移行している。人口は一九五〇年代後半まで一万人を超えていたものの、その後、過疎に拍車がかかり、現在に至っている。
村の中心部に位置する古口地区は、舟運で栄えた宿場町で、松尾芭蕉や正岡子規らが訪れ、とくに芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」など有名な句が詠まれたところでもある。最上川県立自然公園に指定されている最上峡の景観は、四季を通して楽しめ、約一時間の最上川舟下りは年間三十万人以上の観光客でにぎわいをみせている。
過疎の村に変化
このような過疎の村に十数年前から変化がみられるようになった。一九八五年の「国際青年年」を契機に、農家の青年たちが酒を片手に「国際化してみっか」と始めたアジア学院(栃木県)に留学中のアジア・アフリカ農村リーダーとの交流である。草の根国際交流の始まりだが、このころ、村内には農家に限らず、三十〜四十歳代の未婚男性が増え、後継者対策が深刻な問題となっていた。
そこで、八九年、九〇年の二カ年に限定し、行政主導型の国際結婚モデルケースとして韓国、フィリピンから十一人の外国籍花嫁さんを迎えることになった。「言葉が分からないので必要な情報を得られない。要求を伝えることができない」などから九〇年に日本語教室二クラス(韓国教室・フィリピン教室)が開講された。この日本語教室の開設が後に彼女らにとって大きな支えになっていくことになる。
現在、中国教室も加え、それぞれ週一回、三講座を開講し、母国語で話ができる情報交換の場、ストレス解消の場としても位置付けられている。この教室がきっかけで外国籍花嫁さんの医療・保健の充実、国際家族の法律研修会開催などへと展開していった。このことが地域にも波及し、二世への対応も含め、教育の国際化を目指し、保育所、学校、PTAなど関係機関が真剣に取り組もうとする姿勢がみられるようになった。
戸沢流キムチが誕生
九〇年、戸沢村国際交流塾が設立され、韓国堤川市松鶴面との交流が本格的に始まったのもこのころである。初めは韓国から農業技術を修得するため視察団が何度も来村、研究を重ね、現に栽培に成功した農作物が韓国市場に出回っている。両国地域に共通する農業の課題解決に取り組んだ成果であったともいえる。このほか、夏休みを利用した日韓児童相互交流(五回)、婦人らによる食文化交流や韓国からの留学生の受け入れなども積極的に行われるようになった。
村では、これといった特産品がないことから、韓国を代表する食文化キムチに目を付け、キムチフォーラムを開催する一方、加工技術研修のため視察団を送り込み、韓国からの花嫁さんの指導のもと「戸沢流キムチ」が誕生するに至った。
松鶴面との交流は双方にとって、良い影響を及ぼしてきたといえる。特筆すべきは、農業技術の習得や、これらの交流が村民の自発的な形で、ホームステイを基本に行われ、家族同士の付き合いで訪韓・訪日が行われてきたことである。
「村に変化が起きはじめた」と実感したのも、村民が自主的に取り組もうとする姿勢が芽生えたこと、外国籍の花嫁さんが地域社会に参加し、村のために役に立ちたいという積極的な意志を持ってきたからである。たとえば、彼女たちの出番として国際交流での通訳がある。また、民族舞踊を教える人、PTA事業で母国の料理を教える人、近所の中学生に英語を教える人、韓国の民話を出版した人、地域の若妻会・婦人会に入会した人など、自発的な社会参加が始まり、外国からの人材が少しずつ村に変化をもたらしてきたのである。こうした活動が正しく評価されるにしたがい、彼女たちの存在感も大きくなっていった。
日韓友好の「高麗館」
村では、八九年に最上川をテーマにした開発基本計画「モモカミアルカディア構想」(この地方一帯をアイヌ語でモモ(崖(がけ))のカミ(上)の地といい、最上の語源となっている)をつくり、豊かな自然と農村文化を守り育て、未来を拓く理想郷を築くことをテーマとした。この構想から九七年、最上川が蛇行する丘陵沿いの斜面に韓国文化を紹介するテーマパーク、日韓友好の村「高麗館」が建設された。
このオープンを記念し、モモカミ農楽祭、コリア音楽祭、チェギチャギ世界選手権、第二回全国コリアタウンサミットなどを開催。駐日韓国大使はじめ、中央民団団長、韓国堤川市長など多くの来賓が参加、成功することができた。もちろん、その陰には交流先の松鶴面の皆さん、外国籍の花嫁さん、交流塾の会員の方々から絶大なる協力を得たことはいうまでもない。これまで培われてきた信頼関係を維持しながら、高麗館を基軸に文化、経済など新たな交流が広がることを期待している。
内なる国際化に向けて
今年三月には、楽しむ交流を基本に、相互理解を深め合い、差別や偏見のない多文化共生の心豊かな村をつくることを目的に戸沢村国際交流協会が設立された。これまでは外国人というだけで近寄りがたいイメージが村民の中にあったが、それも徐々に払しょくされつつある。「国際家族」が増えることによって多くの問題も出てきているが、解決のための努力の一つひとつが村の成長にもつながってきているように思える。村の内なる国際化、共生社会の実現に向けて、一歩ずつ確実に前進していきたいものである。
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