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岡山県熊山町
学説分かれる石積の遺構
熊山は憩いの場、遺跡管理棟も設置

熊山町企画調整室長

白石悦男

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 熊山町は、岡山県の東南部、一級河川の吉井川に沿った小盆地を核として広がる総面積約四十五平方キロの町である。人口は約八千人で、町西部の住宅団地(三千八百区画。隣町分を含めた全体では約八千五百区画)への入居者を中心に、年平均二百五十人程度増加している。岡山市からは約二十五キロの距離にあり、JR山陽本線により岡山市都市圏への通勤・通学にも便利な地域となっている。山陽自動車道山陽IC・和気ICいずれにも車で十分でアクセスでき、加えて平成十七年度には美作岡山道熊山ICが完成する予定で、高速交通網の結節点に位置することになる。元来、農村的な色彩が強い町であったが、平成五年度には、町南部に県営工業団地が造成され、現在、一社が操業している。
 熊山町は、古くは古代吉備国の東端に位置しており、「くまやま」の「くま」は、古語の「隈」にあたり、「中央から隔たった隠れた場所、かたすみ」という意味に用いられたことから「くまやま」と呼ぶに至ったと言われている。豊かで高度な吉備文化圏の東端で重要な位置をなしていた、それが「くまやま」であり、「隈山」が「熊山」に転化していったと考えられている。

石積遺構は大小32基

 町の南東部に位置する標高五百八メートルの熊山山は、古くから宗教的にも重要なポイントで、山頂には、国内には類のない、石を積み重ねた特殊な遺構がある。昭和三十一年に国の史跡(重要文化財)に指定されていたが、盗掘などの影響で石積みが崩れ、外観が損なわれてきたため、四十八年九月から緊急調査を行い、翌四十九年には遺構の修復が行われた。緊急調査では、石積遺構の築成時の手掛かりを調査するとともに、遺構の広がりを確認するための試掘溝の掘削調査が行われた。調査の結果、熊山山塊には、山頂の石積を中心に大小三十二基の石積が確認されている。
 その中で最も大きい熊山石積遺構は、かつて磐座(いわくら=天地の神霊が宿る岩)として崇めていた巨岩を砕き、その岩盤を取り入れた基段の上に、幾何学的構図に基づいて三段の方形の石積が築成されている。一段目の一辺は約七・七メートルで、二段目の四側面の中央に「龕」(がん=神仏を祭祀するところ)が設けられ、さらに、石積の中央に「竪穴」が設けられている。竪穴石室は、全体の形は筒型で、天井には一枚岩でふたがしてある。石室の高さは二メートルで、中に収められていた五分割できる特殊な陶製筒型容器、およびその中の三彩の小壷、巻物等の出土品から、この遺構は奈良時代前期の築成と考えられている。そのほかの石積は、一時期に築成されたものではなく、長い年月をかけて一基ずつ築成されたものと考えられている。熊山石積遺構の築成の目的については、いまだ学問的に完全な究明がなされておらず、熊山町史では、「陶製筒型容器を中軸に築成された仏塔」としての性格を備えた石積という見解をとっているが、そのほかにも戒壇説、墳墓説等がある。
 熊山町は、石造文化財が豊富で、そのほかにも石造狛犬(こまいぬ)一躯(平安時代)、和気清麻呂公墓所(平安時代)、熊山山頂熊山神社社務所跡地の熊山宝篋(ほうきょう)印塔(鎌倉時代)、石蓮寺山の石造十三重層塔(鎌倉時代)、足利義政供養塔ならびに御台所富子の墓(室町時代)、石の懸樋(江戸時代)など数多くの文化財が存在する。

全町公園化計画を推進

 振興計画を策定するに当たり、町のイメージに関する町民アンケートをとったところ、熊山町は自然環境に恵まれた静かな町であるという回答が半数近くを占めた。町では、「全町公園化計画」を重点プロジェクトに掲げ、町民と共同して各家庭の庭先景観の美化を推進し、また、熊山町の景観美を象徴する熊山山山頂をはじめとする八拠点(熊山八景)を整備し、併せて、公民館・集会所周辺に地区交流公園を整備する方針である。
 熊山山頂へはJR熊山駅からの登山道も整備され、行楽シーズンには広く県内外からの登山客、観光客も多い。山頂からは、南は瀬戸内海や四国屋島、北は大山を含む中国山地を遥かに望むことができる。平成七年三月には資料室、研修室を併設した熊山遺跡管理棟および山頂展望台を設置するなど、山頂の環境整備を行い、訪れた人の憩いの場としている。来年度、地区交流公園整備の第一段として、学校跡地を利用したイングリッシュガーデンを造成する予定である。

町民が誇れるまちづくりへ

 住宅団地を中心に転入者が増加している熊山町では、町民の多くが、町としての個性や特徴に乏しく、町民としての一体感が薄いという感じを持っていた。町のイメージを確立し、いわゆる新旧住民間で共有できるよりどころを見つけることが、町の均衡ある発展のために必要な緊急の課題となっている。
 話題はややわき道にそれるが、戦後、地元熊山の美しい風景をたくさん読み込んだ詩人永瀬清子は、著名な詩人であったにもかかわらず、その作品や人となりは、町民にあまり知られていなかった。そこで、平成八年度から「永瀬清子の里」整備など関連事業を実施しているが、十三年完成を目標に「永瀬清子記念館」(仮称)を建設する構想を練っている。この施設は、単に文化人を顕彰するだけでなく、各地の資料館等に分散している町内からの出土品など歴史的な貴重な資料を回収し、保管・展示する歴史民俗資料館的機能を併せ持つ予定である。町の第四次振興計画が今年度スタートしたところであるが、今後は歴史文化遺産を有機的に結合し、町内外の訪問者が交流できる空間を整備していきたいと考えている。その際には、住民の意向を十分取り入れ、町民が誇れるまちとなるようにしていきたい。

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