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長野県信濃町
野尻湖、化石の発掘と地域づくり
四万年前のナウマンゾウと旧石器

野尻湖ナウマンゾウ博物館学芸員

中村由克

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象のいた湖
 
 信濃町は、長野県の北の端で、新潟県との県境にある。北国街道の宿場町として栄えたところで、現在では人口一万一千人余りで、野尻湖、黒姫山、小林一茶を中心とした観光や農業、工業を主体にしており、一般会計の年間予算が約六十億円規模の町である。
 信濃町は東京のJR山手線に囲まれた範囲ほどの面積に、約一万年前の旧石器時代の遺跡が集中しており、野尻湖遺跡群と呼ばれている。平成六〜八年の高速道路建設の最盛期には、「全国で最も旧石器の発掘された町」として、注目を浴びた。また、町内には多くの遺跡があるので、開発と遺跡保護の問題は、小さな町には現実的な大きな課題となっている。
 野尻湖のナウマンゾウは、昭和二十三年(一九四八)、旅館経営者の加藤松之助氏が野尻湖畔でゾウの歯の化石を発見したことで、その存在が明らかとなった。第一次の発掘は、三十七年(一九六二)に行われ、第四次発掘までの毎年の調査で、野尻湖のナウマンゾウが数万年前の氷河時代のものであること、野尻湖底にはかなりの量の化石が埋もれていること、そしてこれらが人類と関係があるらしいこと、などが分かった。
 四十八年(一九七三)の第五次発掘からは、人類のかかわりの証拠を求めた発掘となり、野尻湖が“ナウマンゾウの狩り場(キルサイト)”であることが証明された。発掘は大規模で、組織的になり、現在も三年に一度のペースで行われている。

二万人の発掘

 野尻湖のナウマンゾウ化石は、約五万年前から約三万年前のものである。出土化石の九割がナウマンゾウ、一割がオオツノシカで、これ以外の動物化石はごくわずかである。このような野尻湖の動物化石の片寄りは、「ゾウやシカが自然に死んだものでなく、旧石器人によってここで狩猟されたもの」ということを意味している。野尻湖では、人間が解体した後のゾウの骨や、解体作業に使われた石器や骨器が一緒に見つかっているからである。
 野尻湖の発掘は、野尻湖発掘調査団という学術団体(事務局=信州大学理学部地質科学教室内)が行っているもので、全国にある「野尻湖友の会」が発掘の案内・受付をしている。友の会は各地に二十六カ所あり、これらとともに十一の専門グループの代表が集まる運営委員会によって、調査・研究をはじめ調査団の活動方針が決められるようになっている。野尻湖の発掘参加者で最も多いのは小中学生であり、一昨年の第十三次発掘では、一千人近くの人たちが集まった。これまでの発掘に参加した人の総計は二万二千人で、見つかった化石や遺物は全部で七万六千点にも達している。

文化・観光の拠点としての博物館

 野尻湖に博物館をつくり、そこに化石をすべて保管するという方針は、実は、昭和三十七年の第一次発掘の当時から調査団と地元との約束から生まれたものである。五十年(一九七五)には、調査団・野尻区・信濃町の代表者が集まって博物館の構想委員会がつくられた。その後、多少の曲折を経て、いつでも地元で化石を見られるようにしようという声が全国的なものとなり、五十七年(一九八二)に博物館準備室ができ、五十九年(一九八四)七月には町立の野尻湖博物館がオープンした。
 その後調査の進展があり、平成八年(一九九六)には大規模な展示替えを行い、野尻湖ナウマンゾウ博物館と館名変更した。
 野尻湖ナウマンゾウ博物館は、野尻湖で発掘された氷河時代の化石や遺物を中心に扱う「専門博物館」であり、同時に野尻湖を中心とした地域を主なフィールドとする「地域博物館」でもあるという基本的性格を持つ。そして、博物館は、展示、収集保管、研究、教育普及という四つの機能を持っており、地域に根差した各種の活動を実施している。

全国の小中学生とともに

 野尻湖ナウマンゾウ博物館は年間六〜七万人の入館者があり、信越県境地域の観光拠点の一つとなっている。小学六年生の教科書で「大昔の狩りのくらし」として、野尻湖の発掘が紹介されていることもあり、毎年四、五月には全国の小学生から電話や手紙による質問が多く寄せられる。また、ナウマンゾウの声を流すテレフォンサービスには、年間一万通話以上の利用がある。このようなつながりから、七〜八月の夏休みには、子供を持つ家族連れや学校関連の団体など年間の約七割の見学客でにぎわっている。
 博物館では展示を見るだけでなく、氷河時代の体験をしてもらおうと、石器づくりや昆虫化石探し、などのメニューを盛り込んだ「夏休み博物館ミニ講座」を連日開催し、その時間帯の来館者に気楽に体験の場を提供している。
 また、町の入口となる高速道、国道、JRの駅をはじめとして、地区の町名看板や下水道のフタにいたるまで、町中にナウマンゾウのデザインのマークが付けられるようになってきて、だんだん「ナウマンゾウの町」のイメージが広がってきている。しかし、地域、行政を挙げてナウマンゾウや遺跡をまちづくりの中核に据えるというところまではいってなく、“他では真似のできないまちづくり”が、これからの課題となっている。
 今年からは、博物館を接点として地域と全国の人たちが一緒になって、ナウマンゾウにちなんだお祭りを毎年春先に行おうと、新たな企画を進めているところである。

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