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埼玉県毛呂山町
屋根のない博物館の活用を目指して
歴史民俗資料館周辺は古墳の森

毛呂山町歴史民俗資料館文化財係長

村木 功

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豊かな自然と由緒ある歴史の町

 毛呂山(もろやま)町は、山地と平野との接点にある緑豊かな町である。面積は約三十四平方キロで、西部には外秩父(そとちちぶ)山地の山並みが、また東部には毛呂台地と呼ばれる平坦な台地が広がり、今でものどかな田園風景を見ることができる。
 町の歴史は古く、県内最古の神社建築といわれる重要文化財出雲伊波比(いずもいわい)神社と、この神社の馬場で毎年行われる古式流鏑馬(やぶさめ)は有名である。出雲伊波比神社の現在の本殿は、中世の時代にこの地域の領主であった毛呂氏が大永八年(一五二八)に再建したもの。また、流鏑馬は、埼玉県内で唯一毎年行われる勇壮な民俗行事で、騎射するのが少年であるところが特徴で、平安時代が起源との伝承もある。
 農業が基幹産業であった毛呂山町も、昭和三十年代終わりごろから首都圏のベッドタウンとしての開発が始まり、現在では町の中央部を中心に都市化が著しく、人口も増加を続け、約三万八千人に達している。

毛呂山町の遺跡概観

 毛呂山町では原始・古代からの遺跡が数多く確認されている。平成十年十一月末現在で、文化財保護行政上、周知の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)として百十六カ所を登録し、開発事業と埋蔵文化財の保護との調整に努めている。これらの遺跡の多くは、町東部の台地や丘陵上に立地し、とくに古代の遺跡として、町の北東部を流れる越辺(おっぺ)川沿いの台地縁辺部に多数の古墳が分布していることが本町の大きな特色である。現在、この流域で総数九十五基もの古墳が確認されており、これらはその分布のあり方から大類(おおるい)古墳群・川角(かわかど)古墳群・西戸(さいど)古墳群に分けられている。いずれも終末期の古墳で、六世紀後半から七世紀後半にかけて築造されたものと考えられ、前方後円墳が二基、他はいずれも円墳と思われる。このほか、古墳群の分布域の中には中世の歴史の道、鎌倉街道上道(かみつみち)が通り、中世の面影も色濃く残っている。

これまで行われた発掘調査とその成果

 毛呂山町教育委員会による遺跡の発掘調査は昭和三十年代を第一歩とするが、本格的な調査が継続して行われるようになるのは、五十年代後半になってからである。都市化の波に押されて破壊され、消滅していく遺跡の記録保存措置としての緊急発掘調査である。
 昨年十一月末現在、学術的調査を除き、開発事業に伴う記録保存のための緊急発掘調査を実施した遺跡は、三十遺跡に上っている。この種の緊急発掘調査は、結果的には遺跡の破壊を意味するが、考古学や歴史学上の新事実が判明したり、貴重な出土品が得られることも事実である。本町においても、これまでの発掘調査でかなりの成果が蓄積され、出土資料も急激に増加している。集落遺跡の大規模な発掘調査により、町の歴史が新たに解明されるとともに、縄文土器や須恵器(すえき)・土師器(はじき)といった奈良平安時代の土器など、良好な資料が多数得られた。
 また、現在九十五基が確認されている古代の古墳にも調査が及び、とくに平成二年度には、西戸古墳群中の2号古墳の全面的な発掘調査が実施され、この古墳は本町では今までに例のなかった凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)の切石を用いた横穴式石室をもつ七世紀初頭ごろに築造された古墳であることが判明した。

文化財の活用とまちづくり

 発掘調査による貴重な考古資料の蓄積に伴い、本町ではその保存とともに、文化財を生かしたまちづくり事業が検討され、歴史民俗資料館の建設が構想された。遺跡の発掘調査の一方で、民俗文化財の調査や収集を推進し、平成元年度には資料館の基本構想・基本計画を策定、古墳群や鎌倉街道に近接する毛呂山町大類の地に館を建設することが決まり、二年度に着工、五年三月に開館した。当館は延べ床面積千五百五十一平方メートル、県内町村レベルの資料館の中ではトップクラスの規模と設備を誇るものである。古墳の発掘調査で出土した考古資料、かつての基幹産業でもあった養蚕関係の資料、出雲伊波比神社の流鏑馬関係資料など、町の歴史民俗の代表的なものを展示するとともに、特別展や収蔵資料展等を積極的に行い、歴史の町、毛呂山の新たな情報発信センターとしての役割を担っている。
 また、この館の目的の一つに、周辺地域には古墳群や鎌倉街道等の貴重な史跡、文化財が広がっているため、資料館の“限られた展示”だけではなく、これらの文化財を“屋根のない博物館展示物”として位置付け、面的な一大歴史ゾーンを形成し、これらの素材を生かした事業の推進が挙げられる。とくに、越辺川流域に分布する多数の古墳は、毛呂山町の古代史の中で重要な位置にあるため、その保存と活用の取り組みが課題となっている。
 平成九年度には、その一環として、二年度に発掘調査した西戸2号古墳を新たな歴史のシンボルとすべく、歴史民俗資料館の「屋外学習広場」に復元した。復元に当たっては、発掘調査で検出された実物の石材を用いて石室を組み上げている。この復元古墳の完成を機に、十年度は古墳見学会を積極的に行っている。また、学習広場では、毎年小中学生の夏休み中に、原始・古代人の生活の一端を体験する学習会を開催している。本年度は、火おこし、縄文クッキング、勾(まが)玉づくり、古墳時代の台付甕(がめ)を復元しての“赤米”の炊飯と試食等を体験し、大盛況のうちに終了した。
 毛呂山町は、古墳の宝庫である。これを新たなまちづくりの素材の一つとして活用すべく、各種の学習会や企画展等の開催に努めているが、かかる取り組みはまだ緒に就いたばかりである。今後、より多くの方に古墳自体の存在やその重要性を知っていただくことが肝要であり、その中から文化財愛護の心が広がり、真の意味で文化財を通した新たなまちづくりが進展するよう願っている。

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