nagare.GIF yuyake.GIF


国づくりと国家公務員
─私的雑感─

自治大臣官房国際室課長補佐

佐々木浩


 機会あって過日、マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシアのアセアン諸国を訪れた。仕事柄、それぞれの国の地方行政を所管する役所、内務省の官僚と接触する機会が多いが、彼らの国やその職場を見るのは初めてのことであった。通貨危機にみまわれ、一時ほどのバラ色の雰囲気ではないといわれたが、それぞれの国において国づくりにかける意欲や活気に触れることができたことは、新鮮な経験であった。
 マレー系、中国糸、インド系と異なる価値観、意識、宗教を持つ人びとを包摂しつつ、情報化などの新たな課題に積極的に対応しつつ経済発展を進めようとするマレーシア。土地も資源もない小国として国際社会の中で生き残っていくにはどうするか。そのために何をなすべきか、という明確な問題をもって人材育成に取り組んでいるシンガポール。国内に抱える地域格差と貧富の差を解消しつつ、従来と同じような成長をいかに維持していくかを模索するタイ。国内の多種多様な民族をインドネシアという新たな民族概念のもとに統合し、いかに一億九千万の人びとを養っていくかに腐心するインドネシア。
 経済発展と民主化のバランスに悩みつつも、それぞれに固有の課題に向き合い国づくりに希望をもって取り組んでいこうとする彼ら。その姿に、わが国の過去の姿(どの時期をダブらせるかはその人の主観の問題ということになろうが)を重ねつつ、ある種の共感を持ち得るところがあるのではないだろうか。
 翻ってわが国の現状を見た場合どうであろうか。グローバライゼイション化、高齢化、情報化という課題への対応が声高に唱えられている。単なる対症療法的な施策にとどまるのではなく、希望をもって語ることができる具体的な国づくりのイメージがあるであろうか。もちろん、いわゆる「先進国」においては、このことを考える責任は、政治家や国民にあるのであり、公務員は決められたことを公平かつ効率的に執行するのみということであるのかもしれない。先の見通せない将来についてビジョンを描き、それに向かって国づくりを進めることは、当然のことながらリスクを伴う。自分自身の名においてリスクのとりようがない、「先進国」の「官僚」には国づくりに参加する余地は極めて少ないということになる。
 むしろそこで求められることは、公務員としての身の処し方や倫理ということになってしまうのであろうか。こうした観点からはわが国の国家公務員においてややもすれば許容されてきたといえる(?)。目的が手段を正当化するという伝統的な論理の存在をもはや許さないということでもあろう(それがどんなに寂しいことであろうとも)。
 わが国におけるあるべき国家公務員像とは何であろうか。どういう心構えをもってどういうふうに身を処すべきであろうか。(いまさらながらという批判を受けることを覚悟のうえで敢えて)考えさせられることであると思う。




●12月号の目次へ