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21世紀の地域づくり
『地域づくり』創刊百号記念特集座談会

 早稲田大学教授 宮口としみち

 北海道ニセコ町長 逢坂誠二

 エッセイスト 岸本葉子

高梁地域づくり交流会事務局長 遠藤正博

 (財)地域活性化センター理事長 吉田弘正

司会(財)地域活性化センター常務理事 堤新二郎

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堤●私ども財団法人地域活性化センターは、地域の活性化に関する各種の情報の収集、提供をセンターの基本的業務のひとつとしておりますが、具体的な事例を紹介しながら地域づくりの指針を目指し、機関誌『地域づくり』を毎月発行しております。この十月号で創刊百号を迎えることになりましたが、今年は、昭和二十二年に地方自治法が施行されてから五十周年の記念すべき年にも当たるわけでございます。そういう二つの記念すべき事柄の特集として、「二十一世紀の地域づくり」というテーマでお話をうかがいたいと思います。
 まず、宮口先生から、導入的な意味で、これまでの地域づくりの経緯、これから二十一世紀へ向けての地域づくりの課題についてお話をおうかがいしたいと思います。

地域づくりは価値観の創造的上乗せ

宮口●戦後五十年の日本の歩みをみると、前半は都市の商業地域が確立していく時期だった。戦争でかなり衰退した地域が、再び都市に人が集まるという形で動いていくわけですが、農村そのものはそんなに大きな変化はなかったわけです。
 その基本にあったのは、日本の農村社会が土地を兄弟に分けないで維持されてきたという基本的な事実ですね。したがって次、三男は出ていく宿命にあって、それがうまく都市の発展と重なり合ったときに爆発的な都市への人口流入ということになっていった。戦後五十年の後半近くなると、都市のほうが人間を受け入れるシステムをどんどん発展させていく。この中でいままで村を継ぐはずだった長男までも大都市にとどまるようになってしまったということが、過疎という現象の社会論的な理解です。
 過疎法ができたのが昭和四十五年で、その前年にコメの生産調整も決定した。だから日本の大きな流れがその辺で転換期になったわけです。村には人がいなくなる。しかし農村は相変わらず何百年続いたやり方で地域社会を運営していく。
 一方で、中小都市の中心商店街が衰退していく。これは基本的にはモータリゼーションの進行によるもので、中小都市も従来のようなパターンではいい状態を持続できない。
 そういう中で、たとえば農山村の広大な空間を、少数の人間がうまく管理して、そこから単なる糧以上のものを得られるような仕組みに将来なっていくのが理想だと思っています。だからたとえば商店街の真ん中や、過疎の中で頑張る人というのは、並みの人間が思いつかないようなシステムを考えていく必要がある。
 そういう芽はいくつか生まれてきつつありますが、まだ教科書が出そろったわけではない。「過疎対策」という言葉はそろそろやめて、新しい地域づくりにチャレンジ、あるいはトライすることに対して、お金をより使うようなことを考えていただきたい。地域づくりというのは、「現代における価値の創造的な上乗せ」というか、地域に新しい価値を創造的に乗せていく、つくっていく、一言でいうとそういうことだと思っております。
堤●宮口先生の「価値の創造的上乗せ」ということをもう少し砕いてお話しいただきたいと思うのですけれども。
宮口●たとえば衰退した人口五万人ぐらいの町の中央商店街だって、昔の数の店が全部成り立つのを発展だと思うか。いまの需要に見合った形でお店の数はかなり減ってもよくて、ただ、そのときに商業空間が、たとえばお年寄りの遊び場所だとかいろいろな機能をその中に新しく詰め込むことによって、店の数は減ったけれども人がいつも行き交っている、発展した状態だということがあり得る。いままでは、大きくなる、数がふえるということが発展だと思われてきた。その辺を転換せざるを得ないのではないか。
堤●次に、自治事務次官も経験されております吉田理事長から、地方分権も踏まえた地域づくりの課題、あり方についてお願いします。

地方分権具体化へ制度、仕組み見直しのとき

吉田●地方分権推進委員会が、昨年の第一次勧告に続いて七月八日には第二次勧告を出し、いよいよ地方分権が具体化への道を進み出した。
 これは、戦後五十年の日本の社会、経済の大きな変貌の中で、地方分権が時代の要請になっているということだと思います。日本の経済も、かつての高度経済成長から石油危機を契機として低成長に入った。そして、最近ではさらに経済のソフト化ということもいわれて産業構造も随分変わってきた。時代のキーワードといわれている「国際化」「情報化」「少子化」「高齢化」も著しく進み、国民の価値観も随分変わってきている。社会、経済、政治、行政の各分野で、さまざまな制度、仕組みについて見直しの時期に至っているのではないかと思います。
 一方、地域振興の話は、かつての高度経済成長時代は、全国総合開発計画も拠点開発方式とか大規模プロジェクト方式ということで積極的に工業団地をつくって工場誘致をするということが進んできた。しかし、それが低成長時代になって、なかなかできなくなっている。とくに、企業城下町といわれるような地域は地域経済が大変深刻になっていった。その時代から地方公共団体のほうも地域経済の振興に真剣に取り組むようになってきた。経済だけでなく地域全般について、地域の持っている潜在能力を最大限発揮しようという動きに変わってきている。
 そういう時代的な背景をもとに、地域活性化センターも昭和六十年に設立され、地域活性化のためのさまざまな活動の支援を始めました。
 その後、竹下内閣のときに「ふるさと創生」ということがいわれ、自ら考え、自ら行う地域づくり事業、いわゆる一億円事業が展開され、各地方団体はそれぞれ知恵を出し、住民の人びとにも参加していただき、いろいろなまちづくりをしている。それが起爆剤になって今日、全国各地域でさまざまな形で地域づくりが行われている。その地域づくりの主体になっているのも、行政が主体となる場合もありますし、企業、民間団体、ボランティアが中心になっている場合もあります。共通しているのは、自分たちの地域を愛し、自分たちの地域に誇りをもって、できるだけ住みやすい地域にしていこうという努力が続けられているということです。今後分権化が進むということは地方の自主性、自立性が高まるということであり、地方の能力が問われることになる。そのような状況の下で、地域の発想に基づいた個性を生かしたまちづくりが一層重要になってくるというのが、これからの時代だと思います。
逢坂●お二人の話を聞いて、私もいま、地域は大転換の中にあるなという印象を持っています。町長という職に就きまして今年で三年ですけれども、これまでの行政のやり方では仕事は非常に進めづらいのです。宮口先生が「価値の創造的上乗せ」といわれましたけれども、価値観が相当大きく変わってきていますね。
 ニセコ町も過疎の町ですが、昭和三十年代から四十年代にかけて農業人口がどんどん減っていきました。でもいま、再度農業をやりたいという人が結構増えている。それから都市を目指して人びとがどんどん流れましたが、いまは田舎暮らしをしたいという人もいる。そういう意味で価値観が相当変わってきた感じがします。
 それから、公共事業においても、これまで道路整備は農道であっても町道であっても、大抵百パーセント賛成でしたが、最近は必ずしもそうではない。道路をつくるよりも、あそこは触らないほうがいいのではないかという人も出たりするわけです。
遠藤●私は、活性化センターの全国地域リーダー養成塾の七期生で、平成七年度にお世話になりました。
 私も逢坂町長さんと一緒で、塾のときから、一流のお話、先生方に触れて、ものすごく変わってきているのだなということを感じました。環境が変わっているのに、私たち自身や地域が変わっていない。そして、変わらなければならない地方ほど、旧態依然として変わりにくい状態にある。そこに大きな問題があるのだなと気づき始めました。
 これからは、格差がつく時代になったと思うのです。これは市町村、県、国同士でもそうだと思います。もちろん、企業、個人同士も。そういうときにどうすればいいのか。本当に自分自身で考えていく、対応していかなければならない。それなのに、地方ほど交流が少なくて、狭い経験だけで考えてしまう。その延長上でしか考えられない。ということは、自分自身、地域自身がいろいろな体験をしていかなければいけない。積極的に交流やイベントを仕掛けていかないといけないと思うのです。
岸本●私は、一住民としての立場から発言することが多いかと思います。私は神奈川県に生まれて、いま東京に住んでいます。生まれてすぐに高度経済成長時代が始まったので、都市と農村でいえば、都市的な生活をずっと送ってきた人間だと思います。人は家庭、企業、国などいろいろな単位に属していますが、その中で地域というのは、ある時期までなかなか実感できにくい単位でした。ところが、会社をやめてから、自分の地域が気になるようになってきたのです。たとえば健康診断を受けるときも地域のを受けますし、老後はどんな福祉メニューがあるのかしらとか、自分の住んでいる地域への関心の持ち方というのは、女性は割とある。ところが、男性は企業が中心で、地域というのはぽこっと抜けてしまって、あまり関心を持っていない。その辺が、これでいいのかなと思っているところです。企業に勤めている男性も、やがては地域に戻ってきます。最後に属するところは地域だから、そこで自分がどういう生活を送れるのか、送りたいのかを考えてみるべきではないか。
堤●次に、個別のテーマのほうに移らせていただきます。まず人づくりについてお話をおうかがいしたいと思います。
 ニセコ町長さんは町役場の職員から町長になられたということで、大変お若くして町長になられましたし、また、地域づくりにも大変熱心でございます。そういった立場からお願いします。

公務員の能力、住民受益を左右。行政と住民協調の時代

逢坂●私がとくに地域での人の重要性を強く認識したのは、「ふるさと創生一億円」のときです。あのときに全国の三千三百の自治体がいろいろな話し合いの仕方、手段を用いて、一億円をどう使うかということを決めたけれども、事例は千差万別、種々雑多、玉石混交。あれを見たときに、まずひとつは、地域の役所の公務員の能力があるところとないところとでは随分と、住んでいる人たちの受ける便益に差があるぞと。少なくともわれわれは税金をお預かりして、それをある程度使うことを任されている職ですから、しっかりしなかったら本当の意味で市民の声にこたえられないなと思いまして、相当、人づくりには力を入れてきました。
 まず公務員の視点からみて、公務員の研修を考えたときに、町や村の役所の職員は、トレーニングの場がない。公務員としての専門的なトレーニングも受けていない。入ってからも、必ずしもそうでもない。それでまず、公務員の基礎的体力とは何ぞやというあたりをこれから真剣に考えなければいけない。
 とはいうものの、法律などの座学で得られる知識だけでは、これからの公務員の人づくりは無理だろう。いかに地域の実践活動に入っていくか、あるいは、自分もその町の住民の一人として、どうやって活動していくのか、そういう中から学んでいくような仕組みづくりをしなければいけないと思いました。
 それからまた、地域に住んでいる方々の視点からみて、その方たちが地域や役所の問題にどうやって参画していくのかということです。いままで地域づくりというのはわりと対立の概念だったような気がするのです。行政と住民は協調して進んでいくような形にならなければいけない。とにかく、地域における人の果たす役割、人づくりの重要性というのは、それがキーだといま思って、職員研修にも相当エネルギーを割いております。そして、いかに役所の仕事の中に町民を巻き込むか、あるいは地域のいろいろな活動にいかに職員に入ってもらうか。それも座学と実践の汗を流す部分と。そんなことをいま一生懸命やっている最中です。
岸本●こういう町長さんばかりだといいですね、本当に。(笑)
堤●大分ふえてきておりますから。地域の人が行政に参画というのか協調していく中で地域づくりを進めていく必要があると思うのですけれども、町長さん、具体的にはどういうふうな。
逢坂●一番大事なのは、行政が何をやっているかということがあまり伝わっていないということです。そこで、私どもの町ではいま「まちづくり町民講座」というものをやっています。各課の課長が講師になって町民を集め、財政、福祉、農業の話などの講座をやっています。すると、町民の中から、「うちの町ってこんなのだったの」「うちの道路整備水準はこんなによかったの」、あるいは逆に、「福祉はこんなにレベルが遅れていたの」とか、少しずつ町民が行政というよりも町全体に関心を持つようになってきたなということを、この二年間感じています。ですから、情報の垣根を低くしていくことが大事かなということです。
 それから、今日の話で一番気になったのは、岸本さんが「地域」というものが抜け落ちた生活がいまあるのだといわれました。それは重要な視点だと思います。地域を再生できるのは、住んでいる人が、その地域というものにもう一回どうかかわるかだと思っています。
堤●遠藤さん、行政に対して人づくりに関するご注文でも結構ですし、何かございましたら。

リーダーが出やすい土壌、環境づくりを

遠藤●同じ三十代で、こうも違うのかなと思って。(笑)
 リーダーという言葉自体はいろいろとらえ方があると思うのですけれども、質が昔と変わってきているのではないかと思うのです。かつてのリーダーはものすごい人で、夢を語って話がうまく、一人で頑張るような人でしたけれど、いまは平凡な人が自分の仕事を持ちながら、そのうえでみんなで集まったり、自分の立場を生かして、そのネットワークをとりながら、一歩ずつ行っているような地域も多いのではないか。
 もうひとつは、宮口先生の話の中でもありましたが、人が少なくなったから悪いのではなくて、少ないなりに豊かな人が多くなればいいのだ、という発想の変換の必要性を学びました。しかし現状では、地域というのは頑張っている人とそうでない人がいる。それをひっくるめて平均化して地域振興を考えるということがなされている。頑張る人がもっと頑張れるようにするにはどうしたらいいのだろうか。とくに若者がいかに頑張れるか。三十代、四十代というのはすでに大分力を持っているのに、組織の中でも町の中でもなかなか活躍しにくい状態にある。
 また、行政だけでなく民間団体も縦割りなんですね。だからまず膝を突き合わせてみんなで話そうよと。頑張る人をいかに応援できるかが、地域づくりの大きなポイントになると思います。
 私たちの「地域づくりの会」も、イベントごとにリーダーを一人ずつかえてそういう場をつくり、責任を持ってやるようになってから、徐々にみんなが変わってきている。そのような小さな取り組みからだんだんと大きくなっていくのではないかと。リーダーが出てきやすいような土壌、環境をみんなでつくっていかないと、自由な社会、地域の社会は変わっていかないと思います。
堤●遠藤さんは商工会議所の方ですね。民間というのは、青年団もあれば、いろいろあって、それが縦割りになっている。それを横割りでやると、これはなかなか難しいと思うのです。どういうふうにやっておられるのかをうかがいたいのですが。
遠藤●商工会議所が民間のキーとなって、青年、市民団体と連携をとれる場をつくり、情報を共有できる環境づくりを行うとともに、産官学と市民の連携「産官学民」に挑戦しています。具体的にはイベントを通じて、連携の輪が広がってきています。それには地方にいながら時代をとらえ、時代感覚と市民感覚を調整し形にしていく調整力を持つことが欠かせないと思います。
 それから、「桜守りの会」というものをこしらえまして、桜街道とか桜によるまちづくりをやろうということ。これはご婦人や老人会とも一緒にやっています。そういうほのぼのとしたテーマにすれば、みなさん快く一緒に、その方々が主役になるわけですが、そんなところから連絡がちょっとずつとれ出した。現実的にオールマイティというのはすぐにはいかないと思います。
堤●岸本さんいかがでしょう。
岸本●二つの事例があります。
 ひとつは、岩手県の大迫という、新幹線の新花巻から車で何十分のところで、リンゴなどをつくっていて、山間だから川も多く、ヤマメとかイワナなどの釣りができる。そこに住んでいる若者が釣りという遊びを軸に何となくまとまるようになって、せっかく川があるから放流でもしようか考えた。また、神奈川県から釣りに来た人が町を気に入って、そこで就職したい希望を持っていることが分かると、就職先を紹介する。それこそIターンですね。初めは一人ひとり遊んでいて、その遊びを媒介にして若者同士のネットワーク、多分彼ら自身はネットワークだなんて思っていないだろうけれども、私からみれば非常に総合的なネットワークができているんですよ。さらに、みんなで集まって何とか話す場所がほしいからと思っていたところに、宮沢賢治の記念事業か何かでつくった建物が解体するらしいから、この機を逃さずに知り合いの民宿の裏の庭に建てさせてもらおうやということになって、釣り仲間から二百万円弱ぐらい集めて、建物までつくってしまった。人というネットワークが、だんだん活動なり建物の形になっていくのですね。
 さらに、若者同士集まるだけではなくて、子供たちに一日釣り教室をやって、あとはみんなでお花見をする。そこには老若男女がたくさん集まって世代間をも超えたまとまりができている。
 そういうのをみると、これから人づくりをしますとか、釣りの会をやりますみたいに、旗を振らなくても、きっかけというのはあるんだなと。そういう中で、だんだん、自分たちの町への愛着、自然とか環境といったものへの価値観が醸成されてくるというのかな。
 もうひとつの例は、今度は全く逆に、都市で、しかも中高年の女性の話なんです。立川市の民間老人ホームを見学に行ったら、ボランティアと称して、中年の女性がいっぱいいる。ホーム内の喫茶店でおだんごをつくって、おばあさんたちに売ったり、交代でボランティアに来ている。私はほとほと感心して、そこの所長さんに、「世の中、お金をもらわなければ動かない人が多いと思っていたけれども、よくまあ、こんなボランティアに女性がたくさん集まりますね」といったら、所長さんがいうには「彼女らは自分が入るかもしれないから下見のつもりもあるのですよ」と。動機としては本物という気がするんですよね。
 そこで大事なのは、老人ホームがまず町中にあるということ、すごく気軽にボランティアに一、二時間でも来られるということ。あと、金額もそんなに高くなく、自分も入れる可能性がある、資格要件も厳しくないことです。
堤●それでは、吉田理事から、人づくりについて、『地域づくり』の記念号でごさいますので、センターのPRも兼ねて。(笑)

塾長サミットで人材育成のあり方など討議

吉田●地域づくりを進めるうえで人づくりが大事だということ、優れた地域リーダーがいるということが重要な要素であるということはよくいわれるわけです。当センターとしても、人づくり、人材育成事業は大きな柱のひとつで、全国地域リーダー養成塾という塾をやっています。これは平成元年からで、今年が九期目です。八期生までで二百三十人余りの方々が修了されて、全国各地で活躍をしていただいています。
 また、私どもが事務局となっている地域づくり団体全国協議会に加盟している団体が、全国に三千三百ぐらいあります。そういう方々の情報交換あるいは交流を進めていくということで、年に二度ほど研修交流会を開催しています。さらに、今年度の新しい試みとして、塾長サミットというのを計画しています。全国各地の塾は、私どもの調べでは約千三百団体ぐらいある。このうち百人くらいの方々に全国から集まっていただき、お互いに人材育成のあり方などについて大いに議論をしてもらいたいと考えています。
 また、当センターの今年の研究テーマとして、「地域づくりリーダーの育成方策に関する研究会」をつくり、地域リーダーの実態をよく把握・調査分析をして、どういうところが今後の課題なのかも調べたいと思っております。また、アンケート調査を行って、リーダーになった方々の動機、きっかけ、活動をしていくうえでの問題点とその解決策、今後の後継者の育て方などについて、実態と今後の展望をまとめてみたいと思っています。
宮口●男が地域に目が向かないといわれたのですが、最近、かなり変わり始めている。どこで変わっているかというと大都市なんですね。たとえば「鶴見川ネットワーキング」というのがある。大都市の小さな川なんだけれども、「俺たちの川ではないか、何かここでいい状態をつくれないか」というので、確か五十ぐらいの、鶴見川に関係するグループが生まれて、それらがネットワークを組んで情報交換をしたり一緒に集まったり、みんなで掃除をする日をつくったりしている。こういうのは「テーマコミュニティ」といういい方もあるのですが、もともと、大都市に集まってきた人というのはひたすら会社人間だったわけですね。横のつながりなしにきていた。ようやく、そういう人たちが地域で何かしようと、それが生活というもののレベルアップだろうという方向へ動いてきている。ですから、こういうことが目立つようになると、先ほど、戦後を前半と後半に分けましたけれども、第三期の始まりみたいなことがいえるのかなというふうに思いますね。
堤●個別テーマの二番目として、「地域間交流と地域からの情報発信による地域づくり」についてご意見をいただきたいと思います。
遠藤●高梁市は人口二万五千人ぐらいの、市といっても小さなまちで、かつては他の地域との交流が少なかった。それをみんな意識的にちょっとずつ輪を広げていって、小さな交流を積み重ねていった。今年の三月にうちの近辺で高速道路が開通しまして、米子から高知まで、日本海から太平洋まで一本の高速道路でつながった。国土庁がいっている地域連携軸構想のモデルルートとなっています。
 高梁市は高知県の「こうち元気者交流会」と交流があります。そこのリーダーの一人塩井さんが土佐の日曜市を出前してみようじゃないかといって、「土佐出前市、GOの会」をつくった。「一回目は高梁に来てください」とお願いして来てもらった。いままでは人だけだったのですけれども、人と物が一緒に来たものですから反響が大きくて、話題になりました。そしてコンサートも出前してもらい文化交流として発展しています。環境が変わった中で変わったやり方を仕掛けてすごい例ではないかと思いまして。また、私たちは形から紹介するが、高知人は龍馬が先。人が先。形にこだわらない“自分流”に多くのことを教わりました。
 それともうひとつ、同じ沿線に城下町が六つあります。そこで中・四国城下町六カ国サミットというのをやろうということで、東京大学の西村幸夫先生にコーディネーターをお願いして、今年四月に実現しました。一番評価を受けたことは、一番小さなまちが呼びかけて、一番小さなまちでやったこと。単純な話ですけれども。それ以来、軸が一本できたことによって、取り組み方によっては市民レベルでも自由なことができるようになったという実践例のひとつです。
堤●次に、逢坂町長から、ニセコ町の地域間交流とか情報発信についての具体的な事例のお話をいただきたいと思います。

Jターン者が町を刺激
ペンション経営者
大半は脱サラ

逢坂●うちの場合は地域間交流というよりも、よそから人がたくさん来ているという話をしたいと思います。
 スキーを中心とする観光がニセコのひとつの産業の柱なんですが、ニセコエリアで年間三百数十万人のお客さんが来ます。けれども、ペンション経営者はほとんどが札幌、関西、東京の人で、脱サラをしてきた人が多いんです。スタートしたのは昭和五十年代の前半だったと思いますが、彼らが来たときに、地域では随分ギャップがありましたね。スキー場のエリアというのはニセコの市街地から見ると、山に近いところにあるものですから、向こうは山の人、こっちは町の人ということで。でも、三、四年しますと、彼らが積極的に町のことにいろいろな提言をし出すのですね。イベントにも参加してきて、われわれの持っていない、新たな物差しをどんどん入れてくる。そういう意味で、うちの町はどこかと地域的に交流しているということではないのですが、よそから来た人が非常にいい動きをしてきたと思っています。
 具体的な事例でいいますと、まだそのころ町は下水道がなかったが、浄化槽の補助事業をスタートさせようという提案を行政にぶつけてきたり、まだ、国の浄化制度の補助制度ができる前にそんな話を彼らが持ってきたりします。それで、環境を守らなければいけないとか。
 ただ、残念なことに、彼らも住み始めて十五年、二十年となってくると、だんだん地域と渾然一体となる。それを見たときに、地域というのは常に変化をしていけるエネルギーを持っていなければいけないなということですね。そういう意味で、町が次にどんな展開をしていくのかというところにいまひとつの悩みがあります。
 情報化については、昨年、職員の採用計画もインターネットに出したところ、数はそんなに多くはないが、食らいついてくる人がいて、そういう意味では、こちらから積極的にアクセスできる場合は出してやるというのが非常に重要なことかなと思います。
堤●逢坂町長さんの話は、地域間交流という意味ではなくて、よそから来られたということで。
逢坂●よその方が入ってきて、あるいはJターンで来て。
吉田●同じような事例で、今年の二月に当センターが「Iターンで地域を拓く」というテーマで「地域活性化フォーラム」を開いたのですが、そのときのひとつの事例が熊本県の産山村で、第三セクターの観光牧場施設の支配人をIターンで招いた。その人が来たことによっていろいろな刺激を与えているというようなことがありましたね。
 もうひとつは、長野県の大桑村という林業、木材産業の地域。そこには、林業関連者あるいは木材関連産業の従事者を募集して、平成五年から六年にかけ百人くらいの人が来たという事例もありました。最近、Iターンにかなりみんな関心を持ってきているようですね。だから、東京でUJIターンのためのふるさとフェアなどをやると、随分大勢の人がそこに参加をしてきている。これも、これからの地域づくりのひとつの有効な方策だと思います。

地域間交流には八方破れのセンスが必要

宮口●こういうことだと思うんです。非常に普遍的に情報がやりとりされる中で、どんな暮らしがあるかということが、いろいろな人に伝わる。その中で自分が何に向いているかがかなり自分で判断できるようになってきている。だから大都市からでも、そっちがいいやという人には来てもらって、大都市のほうがいいやという人は出ていく。十人出ていって二、三人入ってくるだけでも、そのほうが活気がある。ぜひそういう発想で地域に取り組んで、旧来の住民だけの地域ではないということ、それから旧来の発想では行き詰まったということを一回認めてもらいたいわけです。
 それから、地域間交流という場合には、地域的な団体相互の交流というふうに使われるのですけれども、もう少し、八方破れの交流のセンスというのも取り入れてほしいと思います。
 名前が同じだから交流しようなんていうのだけでは、もうそろそろ、淋しいですよね。
岸本●地域間交流で血税を使い、見ず知らずの所に行くことに反対だったが、新しい価値観をやり取りするという意味で、無駄使いではないんですね。
堤●ただ、大山町という富山県のほうにありますでしょう。大分県には有名な大山町があります。それから、鳥取県には大山(だいせん)町という読み方は違うのですけれども、ある。あるいは東和町というのがいくつかあります。そういう名前も交流のひとつのきっかけとしてやるというのは構わないと思いますが。
宮口●ですから、十年前にそういうことを思いついた人がいて、名前でいこうと。それはわかるのですが、そろそろ第二段階へと進んでほしい。
 たとえば、川上町村サミットというのがあります。これは名前でくっついたのだけれども、よく考えてみたら俺たちは上流を守る町や村ではないか、積極的にこれから環境問題や森林の問題をアピールしていこうという方向に、この二、三年動いてきているのです。こういうふうになると第二段階かなと。
堤●姉妹都市とか友好提携による友好交流ということで儀礼的なものが多かったのですけれども、一部ではかなり具体的な国際交流というのは進んでいます。
吉田●たとえば利賀村は大変ユニークな国際交流をやっているのですね。そこの特産品はそばで、その原点を求めて、ネパールのツクチェ村といろいろな交流を進めている。ツクチェ村でやったチベットの仏教僧の人に来てもらって曼荼羅をつくってもらったり、両村の交流をモデルにネパール人の若い監督が映画をつくったりしています。
堤●それでは最後の話題としまして、イベントあるいは観光、地域産品の開発などの手法による地域づくりについてうかがいたいと思います。
遠藤●地域というのは、限られた場所、資源の中で、よりよい生活をしていこうという願いが込められていますが、地域には資源がないのではなくて知恵がないのだと思います。それを跳ね返すような元気がないといけない。地域の持つひとつの分野では高梁にしかないんだ、それは世界にも通じるんだというものを創造していくことが大切だと思います。
 地域リーダー養成塾の海外研修でドイツのハイデルベルグというまちに行き、感動したが、実は数年前ぐらいに、東京の先生が、「高梁は日本のハイデルベルグになれるよ」といって帰られた。山々に囲まれ、川が流れていて、お城があって、城下の町があって、大学ができている。ひとつずつのセットは一緒。城や城下町だけならあるが、セットである地域は少ない。一つひとつは小さいが見方を変えれば高梁には世界に通じる要素がある。一流のまちや人に触れる機会をつくる。そんな積み重ねから本当のまちの良さが分かり、本物のまちづくりのきっかけが生まれてくると思います。
逢坂●これまで観光でやる地域振興というのは、どちらかといえば、来た方をどうもてなすかとか、どういうふうにして金を落としていただこうかということが中心でしたが、最近少し視点が変わってきました。住んでいるわれわれが楽しまないことには、来た人は面白くないんじゃないかという話になりまして、うちの町はスキー場が多いが、それではみんながスキーをやっているかというと、そうでない方もいる。観光客が遊ぶより先にわれわれが遊ぼうという動きが出てきています。
 それがまた逆に、よその目から見ると、ニセコのやつら、面白そうなことをしているなということでまた人を呼び込むひとつの材料になる。われわれ自身が地域のことをきちんと理解して、十分にそのよさを享受するというか、そういう地域にしましょうということがいま私どもの町のひとつの動きになってきております。
 それから、特産品についても最近見直しの目が入ってきております。実は今年、ニセコで道の駅をつくったのですが、トイレと駐車場と水飲み場がある程度の駅にしました。そのかわり場だけ用意して、地域のみなさん、安いお金で自由にお使いくださいと。あるいはまた農産物もみなさん方がお売りになって直接反応を確かめてくださいということで、二カ月くらい前から始めたわけです。そうすると、地域の人の目が変わってきました。実際、自分たちがやってみれば、随分と日銭も入ってくるし、楽しいぞと。しかも、おいしくないものはおいしくないとはっきりいわれる。おいしかったら、直接家に注文が入る。
吉田●イベントに関して、当センターでも今年から「ふるさとイベント大賞」をつくり、表彰もしましたので、それらの事例を紹介します。
 これは、地域の活性化に役立つ優れたイベントを表彰することで、地域イベントの充実を図るとともに地域の活性化にも資していこうというものです。全国の五十二の新聞社との共催で、全国各地から募集して、百七十件ぐらい出てきました。大賞に選ばれたのが、高岡市の「万葉集二十巻朗唱の会」です。大伴家持が越中の国守で、高岡に滞在していたことがあり、それを縁にして考えたようです。三昼夜にわたって六十時間、リレー式で全四千五百首を朗唱していく。大変ユニークだということで、大賞になった。
 それから、優秀賞のほうでは、かまぼこ板の展覧会。これは愛媛県の城川町です。
 ほかに、雪を使う北海道壮瞥町の昭和新山国際雪合戦、砂を使う吹上浜・砂の祭典が鹿児島県の加世田市など、ユニークなものが表彰されました。イベントというのは、地域の人が楽しむ、地域の一体感をつくるということに第一の力点があり、有名になるかならないかというのはあくまで結果です。最初から人を呼ぼうと思ってやるのではなくて、まず地域のアイデンティティを確立してやっていくことが大事だという気がします。

観光客に迎合しない地域に合った観光へのこだわり

岸本●私は観光客としての立場からの話になります。ある町が観光客を集めようとして頑張ったときにすごくだめになってしまうのはひとつには、そこの人が自分たちはこうですではなくて、よそから来る人はこういうものを期待して来るだろうというふうに、迎合というと言葉は悪いけれども、合わせ過ぎてしまう。たとえば山の温泉だったら、猪鍋を食べなければならないように運命づけられていたり、温泉に連泊したら、二日続けて鯉の飴炊きだったりとか。
 そういうときに私たちが思うのは、その土地でつくった、普通、自分たちで食べて美味しいと思うものを出してくれればいいのになということですね。
 また、いままで観光とかイベントというと、お城、博物館、温泉だけとか、何か一点で集客しようとしていたけれども、そろそろ限界にきているのではないか。私はずっと都市の生活しか知らないから、農村の風景、田んぼがいっぱい並んでいるところや雪が降っているところとか、面的なものというか、すぐに経済価値に還元できないようなものに引かれる。これは価値観の転換ということにもなるのですけれども、まちに住んでいる人は、遠藤さんのようにほかで新しい思考法を得てきた人でないと、自分たちの地域の風景のよさというのはピンとこないのではないかなと思うんです。たとえば愛媛県の内子町。松山市から外れたこの町は、日本人ならだれもがふるさとと聞いて思い描きそうな、うさぎ追いしかの山みたいな、丸い山と棚田があって、そこの土地でできたものを、煮物か何かにして近所の奥さんたちが交代でご飯をつくって出してくれる宿泊施設がある。その土地のおばあさんが「東京からこんな遠いところまで来て、この山のどこがいいのかわからない」というが、そのおばあさんも、「人が来るんだから何かいいものがあるんだろう」と感じている。その辺が、当たり前と思っていたものを、自分たちの住んでいる地域をどうとらえ直していくかというところが、これからの観光を主体とした地域づくりの要なのだろうなと思います。
 でも、人がどんどん来ればいいというものではなくて、一日に何万人以上来ると町がだめになるという、適正な観光の規模がきっとあると思う。だめになったなと感じる町は、自分たちの適正な規模というものをあまり考えずに、人を呼べということになって結局だめになったのではないかと思う。最初にどんな町にしたいのかが大切です。
宮口●イベントの話がありましたけれども、私は、イベントはやらないより、やるほうが人が育つ、イベントの結果は失敗しても、担当者は成長しているはずだ、とよくいうのですが、それが完成されてしまって形骸化していくと、逆にあまり価値はなくなる。そのあたりが難しい。
 伝統的に村芝居が盛んだった熊本の阿蘇山の南に清和村という村があります。人形浄瑠璃が受け継がれてきて、ある役場職員が、これは現代に誇りをもって残すものではないかと考え、文楽の里づくりということで頑張って、立派な建物も建ちました。普通のお百姓さんが農作業の合間にそこに来て文楽をやる。それだけの力量があるということですね。
 また、富山県の宇奈月町にセレネ美術館があります。黒部の自然をもっと普遍的な形で人に知らせ、残したいと。それには、画家に黒部峡谷で絵をかいてもらうのが一番早道だと考えた。立派な国際会議場をつくる話があって、その二階がレストランになる予定だったものを、温泉宿の若だんなが、ここを美術館にしようと、実際に平山郁夫さんら七人を口説いた。大変評判を呼んで、むしろ国際会議場の収入をカバーしているような状況になってきています。
 ですから、地域の持ってきたもの、あるいは身近にあるものを別の目で育て上げれば、それが最終的には産業にもなり得るということです。その場合に、岸本さんもいわれたのですが、あまり人が押しかけては困るという段階はあるのでしょうけれども、基本的には住民が少なくて、お金を落とす人がいっぱい来たほうが、取り分は多いに決まっている。ですから、人口あるいは店の数は減っても全体の売り上げが増えているというような状態をつくっていかなければいけないのではないか。
 利賀村は、われわれが試算したのですが、交流人口と常住人口の比率では全国で群を抜いているわけですね。
 それから、中小都市は、周りの農山村と連携して、それらの全体の産物をその町で売るとか、地域の出店になるとか、あるいは高齢者を、ある形で引き受けるとか、そういう周辺の力を借りるような形になっていかないと、活性化は難しいだろうと思っています。
堤●そのほか何かこれまで言い足りないことやテーマ以外のことでもありましたら。
宮口●いま、ニッチズムという言葉が出てきています。「ニッチ」というのは壁のへこみとか隙間とかいうことですが、要するに、多品目少量生産という意味です。あまり無理な投資をしないで四、五年でそれが売れなくなれば早く転換できる。全体人口が増えない時代ですから、自分のところだけ人が流れてくるわけはない。まさに、いまの世の中に必要とされていることを見つけて、その地域でパワーを集めてそれを果たすというようなことが、恐らく、産業開発にもつながるのだろうと思います。
堤●理事長のほうから最後にお礼を兼ねまして、ひとつ。
吉田●きょうは長時間、それぞれのお立場から今後の地域づくりについて大変有益なお話をうかがいましてありがとうございました。地域づくりというのは、その地域の個性を最大限に発揮していくこと。そして、地域の人びとの主体的な参画を得てやっていくことが大事であることを改めて感じた次第です。そのためには、住民の声と地域のリーダー、人の問題が非常に大きいわけです。
 地域活性化センターは、おかげさまで発足してから十二年ほどになります。また、月刊誌『地域づくり』も、百号を迎えることができました。さらに二百号に向けて、大いに頑張っていかなければいけないと思います。地域のみなさんの人づくり、イベント、地域産品、観光開発など、さまざまな事業に対する支援も、さらに充実したものにしていくべく努めますので、皆様方のご協力をよろしくお願いします。本当に今日はありがとうございました。
堤●どうもありがとうございました。

1997年8月5日 (財)地域活性化センターにて

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