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30 宮城県仙台市

「あかね」グループ代表・藤田佐和子さん
全国大会開催が自信に
地域を巻き込む活動目指す

女性の自立と連帯」をモットーに

「あんだの年では○○○の職もねいよ」−老母を看るため定年前に退職、故郷に帰り職を求め、わらにも縋る思いで立ち寄った福永隆子さんに、職安の職員の言葉は冷たかった。「それなら自分で仕事を作るしかない」と発奮、クッキングスクールを開設した。会社員、美容師、公務員など働く女性の手助けのための夕食作りが話題となり、朝日新聞の地方版に掲載された。反響は大きく、多くの主婦たちが福永さんの下に集まり、昭和五十七年二月、「あかねグループ」が結成された。福永さんが初代、藤田佐和子さんが三代目の代表である。
 同グループは結成当時十人でスタートしたが、現在は正会員五十七人。「女性の自立と連帯」をモットーに、組織は運営委員会の下に実践活動と啓蒙活動の二つで構成。実践活動では1.独り暮らしや高齢者世帯の家事援助、介護者への手助けを目的とした高齢者介護ヘルパーサービス2.七十歳以上の独り暮らしや高齢者を対象とした週二回の高齢者向け食事サービス3.学習会や講演会のときの出張託児などの託児サービス4.仕出し弁当やホームパーティの料理サービス−が主な活動。一方、啓蒙活動では、機関誌『あかね』の発行、交流会への参加、他団体とのネットワーク活動、学習会・研修会、シンポジウムへの参加−など。
 会員は入会金千円、月八百円の会費を納め、授産活動で得た収益金の一割をグループに寄付する仕組み。また、バザーなどの収益も会運営費に当てている。このほか賛助会員(入会金・年間一口個人五千円、団体同一万円)の支援もある。一方、高齢者がヘルパーを利用する場合、入会金五千円(二カ月以内の短期は二千五百円)、月会費二百円を納める。

有償ボランティアに当初反発も

 いわば、同グループは有償によるボランティアを中心にスタートした。これが当初反発された。「ボランティアの名を借りた営利行為ではないか」と。しかし、同グループは「調理施設を含めた事務所経費、材料費、活動費の捻出には最低限の収入が必要」と「有償」を貫いた。経費を除いたわずかばかりの収入でも、会員のささやかな楽しみとなり、結果的にグループの活動を長続きさせる要因となった。同グループの活動に対し、清水建設、ヤマト運輸などの企業が無償の食事配達を申し出るなどうれしい協力もあった。こうした支援で、八百〜九百円かかる弁当を五百円で提供することができた。
 こうした活動が認められ、仙台市から助成を受けるようになり、「第七回ふるさとづくり賞・内閣官房長官賞」など数多くの賞を受賞している。

高齢者シンポ全国大会開く

 同グループが大きく飛躍し、運営に自信を持つきっかけとなったのは、平成四年九月の「高齢化社会をよくする女性の会・全国大会─老いを拓くみちのくシンポジウム」の開催。同会は樋口恵子さんが代表を務める会で、二年三月に、樋口代表を招いた席上で、福永初代会長が突然「女性の会全国大会を仙台で開きたい」と申し出た。これを受けあかねグループの例会が開かれたが、「大会経費七百万円の捻出や弱小の組織力など」を理由に挙げ、「開催」に消極的な意見が大半を占めていた。そんななか、副代表が「人一倍のやる気が無の状態からここまでこさせた原動力。それを取ったら何が残るの」の言葉に、藤田さんは「やります」と思わず名乗り上げてしまった。この一言で開催が決まった。
 しかし、大きな大会の運営実績のない同グループはSBPW(有職婦人の会)、WAC(長寿社会文化協会)にまず協力を依頼した。希望者を集め事務局を作り、各地のグループや個人にも実行委員としての参加を呼びかけた。さらに、東北全県実行委員会を結成、宮城県の全面的なバックアップも取り付けた。この間、他のシンポにも積極的に参加、ノウハウを学ぶ。マスコミへのPR、チケットの印刷と手配などどれもこれも初体験で、苦労の連続だった。当日も「入り」が心配されたが予想以上で、「手づくりのもてなし」に感謝する参加者の声に、会員の苦労も吹き飛んだ。そしてその後の自信にもつながった。以降、会員は交流会、シンポジウム、研修会などにも積極的に参加するようになった。

地域住民にアンケート調査

 また、同グループに対する地元若林地区の住民の関心度を知るためにアンケート調査を実施。その結果、約七割の人が同グループの活動を知っており、有償ボランティアについても約七割が「支持する」と回答、地域に期待されていることで会員の自信につながった。
 藤田さんは愛媛県の出身で、夫の転勤で仙台に来た。当時五歳と三歳の娘の母で、テレビと育児の毎日に「もの足りぬ」日々を過ごしていた。そんなとき出会ったのが福永さん。「人付き合いが苦手で、個人主義的なところがある」と自分を分析する藤田さんだが、前向きで、一度会ったら十年来の友と感じさせる福永さんの人柄と強いリーダーシップに惹かれ、グループ創設十人のメンバーになった。

ボランティアには家族の協力が不可欠

 夫の転勤でブラジルへ。陽気な南米人とのつき合いで、困難に接しても「何とかなるさ」の楽天的考えも身につける。東京に戻ったが、グループのことが忘れられず、夫を東京に残し、子供と仙台に。二代目代表の八木美娑子さんが夫の転勤で代表を辞め、昨年三代目に。「偉大な二人の後だけに身が引き締まる。自分はナンバー2の器量なのに」といたって謙虚な藤田さん。そんな藤田さんを事務局長の神山正子さんは「元々頭の良い人だが、代表になって、気配り、目配り、思いやりが目につくようになった」と語ってくれた。そして二人とも「夫や家族の理解なしにはボランティアは続けられない」と家族への感謝を表す。活動を続けて「よかった」と思うのは、「待ってたのよ」と言うお年寄りの言葉を聞くとき。これからは「地域の人がもっと利用し、一緒に参加してくれるといいのですが」と抱負を語る。




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