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21世紀適合型ライフスタイルの確立を
癒(いや)しの時代と沿海型まちづくり

広島大学学校教育学部教授

国土審議会特別委員

地井昭夫

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海の暮らしが陸のベースに

 漁村や漁港の研究に取り組んで三十年になるが、いつも海や海辺の持つ不思議な魅力に取り付かれてきた。近年はやりのスキューバ・ダイビングやタラソ・テラピー(海洋療法)なども、この海の魅力というか、海の不思議に起因するものであろう。
 このタラソ・テラピーの原形は、日本では明治初期に陸軍の医師によって、神奈川県の湘南海岸に、初めて軍人のために結核などの医療施設が作られたのが発端であった。これもナトリウム・ミスト(塩分を含んだ潮風)が人間の治療に有効ではないかと考えた、当時のヨーロッパの医師たちの発見から学んだものであった。
 さて、ここで私の専門である海辺の建築やまちづくりの研究の中から、海と海辺の不思議をひとつ紹介したい。もう十五年前になるが、金沢大学に赴任した私は、さっそく輪島市と舳倉島(へくらじま)の海女の住まいと家族の研究に取りかかった。その後、途中の七ッ島(現在は無人島)にも海女たちが暮らした住居の痕跡があるということで調査に出かけたのだが、そこで極めて重要な発見をすることになった。
 その概要は、図(1)(=省略)に示されているが、なんと“家舟(えぶね)の間取りが、そのまま陸上(おかあ)がりした証拠”(図(1)の原形=直列三室型住居)を発見することになったからである。これは、かつての私の恩師のひとりであり、日本の離島振興の父ともいうべき民俗学の故・宮本常一先生の「舟住まいの陸上がり」の仮説を実証し得る有力な物証となるものだったからである。
 紙幅の関係で、詳しく述べることはできないが、要するに「舟住まいの陸上がり」を含めて、私が、輪島市をはじめ日本の海辺で発見したのは、東アジアや東南アジア・スケールで展開する人間のみならず、文化・情報・物資移動の大動脈―海廊だったのである。
 しかも、この海廊は、人や文化、物資の単なる通過空間であったのではなく、その海に生きた人びとの暮らし(ライフ・スタイル)が、陸上の暮らしのベースになったという事実に、海の不思議や魔力を感じないわけにはいかない。
 本特集に登場する町村も、いずれもこの海の魅力をベースに、活性化に成功しているといえよう。それだけに、沿岸の市町村の人びとは、まず海の力への畏敬の念を忘れるべきではない。

沿海文化断絶の危機も 

 そこで次に、こうした海や海辺の人びとが作った沿岸の町や村の姿について見ることにしたい。ここでも簡潔に触れるが、図(2)(=省略)(小さな漁村)から図(5)(=省略)(厳島神社)までの空間構成の原理は、同じものなのである。
 こうした空間の構成原理を、私は「来訪神(らいほうしん)型空間」と呼んでいるが、それは沿岸の村や町の多くが、あたかも海から訪れる神々や海の幸を“迎え入れるように形成された「装置」である”という意味からなのである。こうした点からすれば、古くから天然の入江や津といわれた港は、海からの神々を迎える門=シンボルであり、その周囲に形成されてきた村や町は、神々や自然と共存する素晴らしい伝統的なウオーター・フロントにほかならない。
 別な表現をすれば、こうした沿海型空間とは、海の神や宮の守護によって造営され、維持されてきた村や町や神社の総称(海辺のミヤコ=宮の住む所)であり、神々と向き合う暮らしの節度と仕組みが存在する空間のことなのではないか。つまり「ミヤコ」は、その大小とは関係なく、むしろ漁村や農村には「海辺や野辺のミヤコの品格」を備えた所が多いと思われる。そればかりか私は、都(みやこ)の語源は、こうした海辺や山辺(来迎神(らいごうしん)型)、野辺(産土神(うぶすながみ)型)の神々に祝福された集落のことではなかったかと想像している。
 しかし、近年こうした伝統的な沿海のミヤコに、欧米型のウオーター・フロント開発が、ハード、ソフトの両面にわたって無批判に導入される例が見られるのは、残念というほかはない。これでは、下手をすると日本型の沿海文化が絶える可能性が強いからである。

個性発現に不可欠な規制緩和

 そろそろ結論へ進まなければならない。これまで述べたところからすれば、二十一世紀における沿海型のむらづくり、まちづくりの基本的な課題は、“二十一世紀適合型の、国際社会適合型の、高齢社会適合型の沿海型空間と暮らしをどのように整えるか”ということに尽きると考えられる。
 そこで、ここで少し具体的に考えることにしたい。

1:交流は手段であること

 本特集でも多くの成功事例が紹介されているように、近年ブルー・ツーリズムやグリーン・ツーリズムなどによる都市と農山漁村の交流によって地域の活性化を推進しようとする動きが、大きなうねりとなっている。しかし、ここで注意しなければならないのは、“交流”とは本来自らの確固たるライフ・スタイルを持った人びと同士の交流なのであり、活性化の最終目標は、地元の人びとの二十一世紀適合型の沿海型ライフ・スタイルを一刻も早く確立することにある。
 たとえば、地元の人びとの犠牲や辛苦の上に成り立つような交流は、本物ではない。全国の多くの地域で、“もう交流やイベントには疲れ果てたので、作戦変更です”という役場職員などの声を聞くことは少なくない。また民宿などでも苦労するのは、いつも主婦ばかりというようでは、次世代の担い手も育たないであろう。

2:独自のライフ・スタイルの確立を

 このことが痛感されるのは、たとえばドイツの農村などを訪れたときである。確かにドイツでも市民と農家の交流は極めて盛んで、その交流がもたらす経済効果もかなりのものであり、政府もこの交流のために多大な補助金を農家のみならず、労働者や子供たちにも提供している。
 しかし、農家民宿では主婦の苦労はない。なぜなら、多くはB&B方式(ベッドと朝食のみ)であり、主婦も夕方にはガスト・ホーフ(小さなレストラン兼ホテル)から帰った客と話に花を咲かせることができる。こうした家族的、社会的な仕組みによって、ドイツの市民と農家の交流は長く続いてきたのである。
 しかし、その反面というべきか、ドイツの農家の暮らしの徹底した保守ぶりには、驚かされる。たとえば、住まいが百〜二百年前のものなどは当たり前であり、薪による暖炉も健在である。そして庶民の生活も極めて質素である(これはフランスやイギリスも同様である)。
 そしてこうした暮らしは、たとえば、キリストのような神によって守られているばかりではなく、ゲニウス・ロキ(地霊)によっても守られてきたと信じられている。さらに大切なことは、市民は“こうした農村の人びとの頑固な暮らしに接するために農村を訪れるのだ”ということである。日本でも早く各地域、各家庭固有のそして自然と共生型のライフ・スタイルを取り戻さなければ、多くの市民が外国の農山漁村との交流に流れてしまうのではないかと心配している。

3:神と自然の加護受ける空間

 さて、私たちは戦後復興期の「働きの時代」から技術革新期の「怠け(省力化)の時代」を経て、高度成長期の「遊びの時代」を終え、「癒しの時代」へ入ったといわれている。こうした時代変化からすれば、日本の沿岸地域は、タラソ・テラピーではないが、極めて大きな可能性を持った地域であると考えられる。
 そこは、仕事に疲れたサラリーマンや偏差値に追われ続ける子供たち、老後の癒しを求める高齢者たちが、海の神や自然に祝福された沿海の村や町で、住民とともに神と自然の加護を受けることができる“癒しの空間”だからである。しかし、神の加護を受ける空間の質や仕組みは、千差万別である。そのためにも行財政改革や規制緩和などが、こうした各地域の個性発現のためにも避けることのできない課題となってくる。
 そうすれば、二十一世紀の日本の沿海の各地域には、地域にふさわしい新しい浦島伝説が復興するのではないかと、想望している。


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