|
|
|
|
|
香川県内海町 「オリーブワールド」構想で活性化 ボランティア中心の「花いっぱい運動」 |
|
内海町商工観光課係長 |
|
|
島田憲明 |
|
|
|
|
内海町は、瀬戸内海・小豆島の東部に位置し、人口約一万三千人の海と山の美しい自然に囲まれた町だ。
本町は、日本でのオリーブ発祥の地。また、「農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ……」の書き出しで始まる壷井栄の小説『二十四の瞳』の舞台としても知られる。日本三大渓谷のひとつ、名勝「寒霞渓」、大坂城築城残石などの豊かな観光資源もある。古くから海道の要衝として開け、四百年の伝統を持つしょうゆ産業をはじめ、つくだ煮産業や手延べそうめんなどの食品工業を中心とした町だ。
内海町は昭和六十一年、第二次長期振興計画で「瀬戸内にキラリと光る小さな世界都市うちのみ」というコンセプトを打ち出し、全国に情報発信した。その施策の中で、「オリーブワールド構想」事業の実現化、「花いっぱい運動による快適な生活環境づくり」事業がいまも続いている。
オリーブはギリシャ神話の中で木は、武器や目印となり、その実は薬として勇士たちを助けた。わが国への伝来は、文久二年(一八六二年)。フランスから輸入した苗木を横須賀に植えたのが最初という。香川県には、明治四十一年に当時の農商務省が、サーディンオイルの国内自給を図るため試作依頼したのが始まりとされ、当地にオリーブ試験地を創設し、百十九アールに四百本の苗木を植栽した。その後、気候風土に適した小豆島の需要増とともに、急速に生産が拡大した。
しかし、昭和三十四年に貿易自由化、四十六年のオリーブゾウムシ駆除に卓効のあった農薬の使用禁止など、生産意欲の減退に拍車がかかり、栽培面積は年ごとに減少した。
一方で、陽光に輝く銀葉、こぼれ咲く白い花など、オリーブ独特の優雅な姿は、香川県、小豆島、内海町それぞれの「郷土の花」と「郷土の木」に選定され、島内でもオリーブ増殖の機運が再び高まってきた。
本町でも、ボランティアの人たちによるオリーブ並木推進会が組織され、町内の県道、国道沿いの空き地にオリーブの並木がつくられた。
さらに、オリーブワールド構想の核的施設となる小豆島オリーブ公園が、オリーブ発祥の地を中心に香川県と内海町の共同で開園し、現在約三十六種類のオリーブと約百八十種類のハーブが、植栽されている。
大きなオリーブ林が広がり、ハーブが育つ同公園は、文化を軸としたリゾートを目指す内海町の新しい拠点となり、丘の上にはオリーブ記念館、ハーブガーデン、ハーブクラフト館「ミロス」、簡易宿泊ロッジ「オリベックス」などがあり、眼下に広がる海と岬の風景は地中海気分を十分味わせてくれる。いまでは、リースづくり、オリーブ盆栽づくりへの挑戦などオリーブを観光農業に取り入れ、普及とPRに努めている。
また、並行して、花いっぱい運動も展開した。これは、昭和六十二年度、国や県が推進した「アメニティ・タウン」モデル町に指定されたのを機に策定された内海町快適環境整備計画(うちのみ華街道)。内海町ではオリーブ並木推進会、1964(いくむし)会、花戦士の会などによって、花いっぱい運動の活発なボランティア活動が、以前から進められてきた。
「1964会」は島の自然を守り、名勝、寒霞渓の紅葉をもっと増やそうという志から、その名のとおり一九六四(昭和三十九年)年に有志が集まり、ボランティア団体として発足。いまでも地道ながら紅葉一万本植樹の目標を掲げ、日々達成を目指してる。
花戦士の会は、地元各地区婦人会を中心に構成され、「うちのみ華街道」整備事業でその活動の先陣をきって活躍している。
華街道のポイントとなる各地区のポケットパークはもちろんのこと、町内十二地区百三カ所に点在する花壇の維持管理、沿道にフラワーポットを設置するなど、老人会、緑の少年団などとともに、“花との戦い”に臨んでいる。
また、昭和六十三年からは町民総参加による花と緑のまちづくり推進運動の定着化を図るため、年四回の「花の日」を設定し、全町あげて沿道の花の手入れ、オリーブ並木の下草刈り作業などに取り組んでいる。
島に住む私たちの責務は、大切な自然を後世に残すこと。住んでよく、訪ねてよいまちづくりを今後とも目指していこうと考えている。
「なんちゃないけんど、まあ、いっぺん島へ来てみいな……」
![]()
|
|
|