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愛知県半田市
「どんぐり緑化」は水害からの反省
“貧乏都市”の知恵と汗

半田市都市計画課主査

伊藤和利

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●「はんだ」知っとりますか?

 半田市は、名古屋市の南、伊勢湾と三河湾に突き出た知多半島のほぼ中央に位置し、農、工、商、住のバランスのとれた都市で人口は十万七千人。市制施行は昭和十二年。
 文化的な面では、祭礼行事が古くから行われ、山車の町内曳き回しや、子供みこしの町内練り歩きが市内の各地区で行われている。とくに、五月に行われる亀崎地区の県有形民俗文化財に指定されている山車五台を海岸に曳き降ろす亀崎潮干祭りは壮大だ。
 また、半田市には「ごん狐」「おぢいさんのランプ」など、ヒューマニティ溢れる童話で知られる童話作家・新美南吉の生家などがあり、多くの文学碑も残っている南吉ゆかりの地でもある。

緑を奪う集中豪雨

 半田市は気候も温暖で、市内には緑地も多く、丘陵地には半島特有のコナラ、ヤマモモ、ヤシャブシなどが自生し、自然の豊かな森を形成していた。しかし、戦後は、名古屋市を中心とする産業の振興と、高度経済成長時代に、住宅供給地としての開発が急激に進み、丘陵地の良好な自然環境がどんどん失われていった。
 “緑の復活”を目指し半田市が昭和四十三年から始めた苗木のあっせん市、人生記念植樹などで市内には緑が徐々に増えてきたものの、以前のような状態には程遠い。さらに、四十九年六、七月、五十一年九月の集中豪雨による被害は大きく、知多半島特有の多くの溜池がことごとく決壊寸前の状態に陥った。その結果、市街地では床上浸水が千五百戸余りと甚大な被害を受けた。

市民ぐるみの「どんぐり緑化」

 この大きな水害への反省から、市制四十周年を迎えた五十二年に、失われた自然と緑の回復を目指し、未来に残す記念事業として十年計画による、「どんぐり百万本植樹」を行うことになった。この事業を「どんぐり緑化作戦」と呼び、市内小、中学校や、地域婦人会への指導説明会を開催するなど、積極的に市民の参加協力を呼びかけた。また、市職員による「モデルほ場」の設置に伴い、半田市の幹部職員をはじめとする「どんぐり緑化推進員」を選出し、半田市全体で推進することとした。
 どんぐりは、主に秋に採種する。種類は、クヌギ、ナラ、カシ、コナラ、ウバメガシ、ヤマモモ、クロガネモチなどで、郷土の森を形成する樹木の種をドングリと呼んでいる。
 これを半田市内の各小、中学校の児童生徒が各地区の神社、丘陵地などで採集したり、ハイキングなどへ行ったとき拾い集める。遠足で現地に落ちていたどんぐりを持ち帰ったこともある。これを“ほ場”と呼ばれる苗床に播種し、ビニールポットに植え替え、三年程度まで生長させる。ほ場は各小、中学校をはじめ、企業の土地や公共施設の余剰地などを利用する。幅一メートル、長さ五メートル、高さ五センチ程度の苗床を作り、その中へどんぐりを植える。標準的には一カ所で約二千五百粒のどんぐりを植えることができる。

はんだは貧乏だでよ!

 どんぐり緑化とは、簡単にいえば、みんなが拾ってきたどんぐりの実から苗を作り、育て、自分の手で植え、大きく緑を増やそうというもの。市の財政状態を考えると、到底大きな緑化事業は期待できない。それなら、自分たちで苗から育て、緑を育てようではないかとの“貧乏都市”の知恵と汗の事業である。
 これまでの緑化推進と、どんぐり緑化の大きな相違は、従来は歩道や公園に植樹し、家庭の庭木を増やす「美観」を主にした造園方式だったのに対し、「どんぐり」は、鎮守の森のように、その地域に昔からある植物の生息に即して、できるだけ自然に、無管理に近い良好な姿で育てる。工場地帯を森で包み、もっと広く、市全体を森にし、森の中に街があるような、街の中の森づくりを推進することを目的にしている。

二十一世紀は「森の中の街」に

 「どんぐり緑化」により現在、市内の小、中学校は、まさに森の中の学校となった。とくに、半田市の西部に位置する板山小学校は国道の拡幅工事に伴い、田と池を埋め立てた現在地へ移転したのは昭和五十年九月。当時は校内には一本の樹木すらなく、学校のどんぐり委員会を中心に、実生から緑の育成に取り組んだ。
 それから二十年、子供たちは、校門から昇降口まで続く「よもぎ道」という名の樹木のトンネルを通って、登校するまでになった。平成六年には第五回全国「みどりの愛護」のつどいで、建設大臣表彰を贈られるなど、豊かな心の育成を目指した活動が行われている。どんぐり緑化が成功した一例である。
 今後さらに、この事業を推進し、二十一世紀には「森の中の街」にしたい。


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