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山口県宇部市
彫刻のまちの先駆け
三十六年で百五十点余に

宇部市現代日本彫刻展事務局

伊世博志

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美との対話空間に

 山口県宇部市…。この町を訪れる人びとは街路のあちこち、公園のそこここに、わが国現代彫刻の具象、抽象の名作が設置されているのを見るだろう。
 柳原義達“座る女”、佐藤忠良“冬の子供”、向井良吉“蟻の城”、多田美波“超空間”、土谷武“小さなピラミッド”、澄川喜一“そりのあるかたち”、増田正和“碑”、岩城信嘉"風の譜"、最上寿之“ポカポカオヒサマテルホドニ”…その数百五十点余り。
 いま、手もとにある二、三の美術館ガイドや美術年鑑を開いてみると、「宇部市野外彫刻美術館」という項がある。しかし、この「美術館」は、他の多くの美術館のように、作品を陳列展示する建造物を有するわけではない。
 この「美術館」は、宇部市が全国の都市に先駆けて試みた都市における彫刻設置事業=まちを彫刻で飾る運動=の象徴として設けられた〈ある野外空間〉の呼称にすぎない。
 いいかえると、宇部市という都市空間そのものを広く市民に開かれた「美との対話空間」にしよう、という願いのシンボルとして設置されたもので、市の東部五キロの常盤公園内にある。
 常盤公園は元禄年間に築堤造成された、約百ヘクタールの灌漑湖を中心とする総面積約百九十ヘクタールの総合公園である。

昭和三十六年に初展示会

 昭和三十六年、この公園の湖水を望む二万平方メートルの高台を会場として、都市としてはわが国で初めての試みといわれ、当時の彫刻界を代表する中堅・新進作家十六人の作品六十点の出品を得て、「宇部市野外彫刻展」が開催された。
 続いて二年後の三十八年、全国から新進・中堅作家の作品百二十二点の応募を得て、「全国彫刻応募コンクール展」が開催された。
 この二回の試みの成功を受けて、宇部市の野外彫刻展は「現代日本彫刻展」として隔年開催されることになり、今日に至っている。
 昭和四十四年には箱根彫刻の森美術館の開館、さらに長野市、旭川市、札幌市、仙台市、横浜市、八王子市、広島市、その他と続く「彫刻のあるまちづくり」の先駆け、モデルとなったものである。
 宇部市は山口県の南西部、南は瀬戸内海に面し、はるかに九州・国東半島を望み、北はなだらかな高地となって中国山地につらなる人口十七万六千人余りの工業都市である。
 石炭の町として発展してきたが、「地下資源は有限である」として、早くから機械、セメントなど諸工業をも併せて振興を図った。こうした工業開発の結果、明治三十年、約七千人だった人口が、大正九年には四万一千人と急増し、大正十年村から一躍市制を布(し)くにいたり、瀬戸内沿岸有数の工業都市へと成長していった。

街路樹も八万七千本に

 昭和二十年、空襲によって市街部の大半を焼失したが、終戦とともに工鉱業生産を再開し、復興機運に乗り、生産は急速に回復していった。敗戦による人心の荒廃は青少年非行の増加、暴力ざたの頻発という形で現れてきた。
 また、工業生産の回復に伴い、工場が活況を呈してくるにつれ、市民は工場から排出されるばい煙、降灰に悩まされた。トラコーマ、ジフテリア、気管支系疾患の増大など、市民の健康はむしばまれていった。
 昭和二十四年の統計によると、宇部市の降灰量は一カ月一平方キロメートル当たり五十八トン、日本一の量であった。市はこれらの対策として、市民と企業と行政の三者協力による公害対策(宇部方式として成果を上げた)、教育施策の振興、都市緑化の充実を図ることとした。
 昭和二十五年、緑化事業に着手したが、担当者の最初の苦労は樹を植えることではなく、挿し木などによって苗を育てること、また、ボタ(石炭の廃物)の埋め立てで造成された市街地の土を、樹木が育つ土壌に改良することであった。
 いま、この町の緑は多くの市民の共感に支えられて、街路樹約八万七千本(市民一人に〇・五本)、公園面積市民一人当たり約十三平方メートルに達する。
 日本一の公害の町といわれる中で、始められた緑化の努力は、確実に根を下ろし、大きく成長していった。

文化の香り高いまちへ

 昭和三十年代初め、こうして根づいた緑を背景に、商工会議所や婦人団体から「緑とともに花でまちを埋めよう」という声が上がり、幅広い市民の協力のもとに、実践に移された。昭和二十五年「公害のない明るく住みよいまちづくり」を目指してスタートした緑化事業は、十年の歳月を経て「緑と花の工業都市」として大きな実をつけた。
 昭和三十五年、宇部市女性問題対策審議会は、「自然(緑と花)と人間(市民)の接点として芸術を」という願いを込めて「まちに彫刻を文化の香りを」=まちを彫刻で飾ろう=という提唱を行った。
 この提唱に基づき実施方策を検討した結果、多くの関係者による指導と協力で「現代日本彫刻展」へと発展した。三十六年がたち、百点を超す作品が設置され、また、賛同する市民、団体から四十点を超す作品が寄贈されてきた。市民の理解と関心のもとに、今後も、彫刻を生かした「文化の香り高い、潤いのあるまち」を推進していきたい。
 ちなみに、「現代日本彫刻展」の第十二回(昭和六十一〜六十二年)から第十六回(平成六〜七年)まで五回の総事業費は三億七千八百万円に達した。今年十月には第十七回展を開催する予定である。


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