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岩手県岩手町 "彫刻の町"が誇りに 素材は町産の黒御影石 |
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岩手町社会教育課主事 |
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佐々木康博 |
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若手彫刻家の育成を目指し、昭和四十七年に和光大学および岩手大学の学生の参加を得て岩手町産の黒御影石を素材に、東北有数の美術集団エコール・ド・エヌ(代表故齋藤忠誠)の主催で石彫実習会を開催した。これが当シンポジウムのおこりである。翌四十八年には第一回岩手町国際石彫シンポジウムとして実施、以降継続開催している。
黒御影石は、岩手町の特産であり(現在は商品として使用されていない)、また、優れた指導者であった齋藤忠誠氏(洋画家)や齋藤氏の友人の高見泰蔵氏、新妻實氏という石彫作家がいたことが、石彫シンポジウム誕生のきっかけになっている。
いま、岩手町は作家に石彫制作の機会を提供する場として、広く知られるようになった。とくに、国内外の作家の育成を根本姿勢にしながら、林間彫刻教室の開催などを通じて町民と作家との生きた交流、芸術文化の高揚を図っている。
完成した彫刻は町並みに設置され“彫刻のあるまちづくり”を進めるとともに、生活の中に溶け込んでいる彫刻を通して、心豊かで創造力に満ちた“人づくり”も推進している。
毎年、国内三人、国外二人の彫刻家が集い、夏期の四十日間共同生活を送りながら、作品を制作する。地元産の黒御影石を主材料に使用し、制作についての意見交換、助け合いを交えながら、彫刻制作を進めていく。
期間中は制作過程を一般に公開するとともに、林間彫刻教室や地元中学生との国際交流シンポジウム、そして「盛岡彫刻シンポジウム」や「安比彫刻シンポジウム」との交流会など、町民をはじめとするさまざまな人たちとの交流を図っている。
完成した作品は岩手町に寄贈され、彫刻公園や街並みの中に恒久設置される。作品数は九十三点(平成八年現在)となり、町内を行き交う人びとの鑑賞に供している。生活空間に溶け込んだこれらの石彫は“彫刻のある町”として町民の誇りになった。
「荒廃し続ける文明を救うものは文化であり、その原点を秘めているのは、地方をおいてもはや他にない」
芸術文化の原点を出生地、岩手町に見いだした齋藤忠誠氏の先駆的な発想、限りない情熱によって始められた岩手町国際石彫シンポジウムは、八年で二十三回目を迎えた。国内の類似イベントのなかでは、最も長く続いているシンポジウムとして、また、岩手町=彫刻のある町として、国内のみならず、世界的にも知られるようになってきた。近年では、国外の彫刻家からの参加希望が三十件ほどもあり、国際的に注目されていることがうかがえる。
五年にオープンした「石神の丘美術館」は、岩手山と姫神山を眺望する雄大な自然に囲まれた美しい野外彫刻美術館で、岩手の新しい観光地としても脚光を浴びている。同年に開催された第八回国民文化祭で、当町は「石彫展」をここで開催した。
住民の石彫シンポジウムに対する理解も深まり、彫刻家とのコミュニケーションも盛んに行われている。九十三点ものさまざまな形の作品が生活空間の中に溶け込んだ景観は、町民の誇れるもののひとつとなっている。
町では二年度に岩手町国際石彫シンポジウム基金を創設し、資金の確保を図り、将来ともに継続していく方針である。
シンポジウムの開催に伴い、石彫作品が、毎年五〜六点ずつ増えるので、それを設置するスペースを確保する必要がある。現在、学校を中心とした公共施設の敷地内に設置しているが、国道4号線沿いの主要地点に設置していき、「彫刻ロード」をつくることも検討中である。
将来的には五百〜一千メートルおきに、二十〜三十点を考えているが、向こう五年間では、約十点の設置を予定している。また、道路や公共施設を新しく設計する際には、設置スペースを確保してくれるよう、関係機関へ働きかけている。
国際石彫シンポジウムの事業費は、昭和四十八年の第一回から五十九年の第十二回までが齋藤忠誠氏の私費と岩手町の補助金合わせて年平均約三百万円、昭和六十一年から平成八年(昭和六十年は開催せず)までが町の補助金で同約八百万円かかっている。これまでの事業費総額は約一億四千万円である。
私たちは今後、"彫刻のある町" として、ただ「彫刻がある」のではなく、「岩手の雄大な自然と生活空間に調和した」彫刻のあるまちづくりを目指していきたい、と考えている。
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