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北海道虻田町、壮瞥町、洞爺村
三町村で五十八基完成、洞爺湖の周りに
管理とPR事業残す

虻田町社会教育課長

大道義則

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有珠山噴火で戦場に

 平成八年度で洞爺湖畔に五十八基の野外彫刻作品が完成し、「とうや湖ぐるっと彫刻公園」設置事業計画が一応、終了する。
 支笏洞爺国立公園「洞爺湖」は、周囲三十六キロのカルデラ湖で、北に羊蹄山を望み、南東に火の山・有珠山、四十三山、昭和新山。そして南西には噴火湾(太平洋)が広がる。洞爺湖畔には湯量豊富な洞爺湖温泉街があり、年間四百万人以上の観光客が訪れる北海道最大の観光リゾート地である。
 洞爺湖は虻田町(人口約一万五百人)と壮瞥町(約三千九百人)、洞爺村(約二千二百人)の三町村にまたがっている。虻田町は、神奈川県箱根町とは温泉と芦ノ湖と富士山、虻田町の洞爺湖温泉と洞爺湖、羊蹄山と風景が似ていることから姉妹都市を結んで交流が続いている。
 昭和五十二年八月七日、昭和新山形成以来、有珠山は三十三年間の沈黙を破って、大噴火を伴う火山活動を開始した。それ以降、ふもとの虻田町や近隣市町村は、火山災害対策で戦場と化したのである。

観光客大幅に減少

 年間四百万人以上の入り込み観光客数の洞爺湖温泉は噴火以来、宿泊客が大幅に減少。観光産業中心の三次産業が七割を占める虻田町は大打撃を受けた。
 また、肺結核に侵された教職員が闘病生活を送っていた北海道立教員保養所(洞爺湖温泉町)は札幌市へ移転し、患者も各地の病院に分散して、関係者約二百五十人が転出してしまった。洞爺湖温泉町の人口は、噴火当時の五千人から三千人に減少した。
 さらに、有珠山噴火では人的被害はなかったものの、翌五十三年九月の土石流災害で、三人の犠牲者を出した。
 北海道立教員保養所は、有珠山噴火で閉鎖したが、かつての患者らの募金によって記念碑を建立することとなり、北海道出身、イタリア在住の安田侃氏に依頼し、大理石の彫刻「回生」という記念碑が五十九年、洞爺湖畔に建てられた。
 また、有珠山噴火の土石流災害の犠牲者となった三人の慰霊碑を建立することとなり、同じく安田侃氏に依頼し、住民の募金で災害から十年後の六十三年に大理石の彫刻「意心帰」が完成し、慰霊祭が洞爺湖畔で行われた。
 この二つの彫刻が設置されたことから「とうや湖ぐるっと彫刻公園」構想が生まれたのである。

中堅作家など条件

 そこで洞爺湖を囲む虻田町、壮瞥町、洞爺村の三町村の共同事業として行うこととなり、委員は三町村の町村長、議会議長、教育委員長、教育長、北海道胆振支庁地方部長、同胆振支庁振興課企画室長で構成し、「とうや湖ぐるっと彫刻公園設置委員会(会長虻田町長)」が平成元年に設立された。
 また、彫刻作家の選定に協力をいただくため、顧問には北海道立三岸幸太郎美術館館長、北海道立近代美術館館長を、作家選定評価委員には北海道立近代美術館学芸部長、同館学芸第一課長、札幌芸術の森美術館副館長をそれぞれ委嘱した。
 作家選定としては、現に活躍している将来性のある中堅作家であること、彫刻作品は洞爺湖周辺に半永久的に展示に耐えうる素材であること、作品の大きさや色彩、設置場所については国立公園地内であるため、自然公園法に合致することを条件とした。そして、百基程度の設置を目標にした。

一基一千〜二千万円

 平成元年、洞爺村浮見堂公園に国松明日香作「輪舞」が完成し、その後毎年、三町村それぞれ一基から六基が設置され、八年度末で虻田町二十四基、壮瞥町十八基、洞爺村十六基、合計五十八基の彫刻が洞爺湖畔に完成する予定である。
 彫刻一基の設置費は、彫刻作品とその周辺の公園整備も含めて約一千万円から二千万円で、この事業には市町村振興補助金と地域総合整備事業債(ふるさとづくり・地域づくり事業)の財政支援を受けて実施してきた。
 さらに三町村共同で、彫刻公園を紹介するポスターを作成して全国に配布したほか、リーフレット、ポストカード、PRビデオなどを作成、彫刻見学会なども実施してきた。
 最近は道内外からの見学者やツアー客が訪れるなど大変、関心を呼んでいる。
 八年度で一応、予定事業が完了することから彫刻設置委員会は解散し、九年度からは、洞爺湖ぐるっと彫刻公園管理委員会(仮称)として彫刻の維持管理と、PR事業として案内板、誘導板の設置、ポケットガイドブックの発刊、五十八基の新たなリーフレットやポストカードの作成などを計画している。


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