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情報公開、市民参加が必要
「芸術至上」で社会性失う

(株)都市緑地研究所東京事務所長

竹田直樹

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遠い「日常」との距離

 「美術」と「街づくり」の関係を考えるとき、まず最初に認識しなければならないのは、現代社会における美術自体が抱える問題、すなわち現代社会と美術の関係の中に所在する問題である。この問題を踏まえず、美術を「なんとなく文化的でポジティブな存在」としてとらえ、推進される表層的な「美術による街づくり」の多くは、本質的な目的を見失い、迷走を余儀なくされている。そして、それを一言でいうなら「美術の社会性の喪失」ということになる。
 過去のナチス政権や一部の共産主義政権の美術政策、あるいは日本の戦争中の美術を取り巻く状況に端的に示されるように、全体主義的な社会において、美術はイデオロギーに組み込まれ、それを賛美・説明する役割を負わされていた。美術は、戦争や体制維持に伴う粛正などを行った政権に加担し、あるいはそれらに抑圧される。
 今日の資本主義、民主主義、自由主義などと呼ばれるイデオロギーに基づく社会において、美術はイデオロギーから自立し、自由な活動が可能になった。これは確かに喜ぶべきことである。
 そして、自由な活動を許された美術は、「芸術至上主義」の中で、造形性、すなわち作品の形態にかかわる美しさのみを追求しつつ、社会とのかかわり-社会性を切り捨ててしまう。
 美術の一部は、商業社会に組み込まれ、消費者の嗜(し)好に支配され、「大衆的でつまらないもの」になり、別の一部は社会から乖(かい)離し、「難しくて、わけがわからない」ものになってしまった。現代社会における美術は「消費者のための美術」と「美術のための美術」に二分されてしまう。美術は社会性を帯びたとき、爆発的な美を生じるのであり、それゆえ歴史的に利用され、不幸な事態を招いたこともあった。
 しかし、社会性を喪失した美術は「デザイン」との領域をあいまいにするか、普遍的な精神性を失い、不特定多数の人びとに共通の美的体験を供与不可能にする。とくに「美術のための美術」は、形態の美しさを純粋に追求するため、これらを通して美を感じるには、一般的な社会通念から独立した美術専用の知識の理解、あるいはとくに抽象作品に対する「鑑賞のコツ」の体得が必要になる。
 美術評論も、一般大衆を意識したものではなくなり、美術関係者と一握りの「美術マニア」のために書かれ、一種のマニアックな文学作品のようなものになった。美術は理解できる者には優越感を、理解できない者には不快感を生じさせる、いびつな存在に化したのである。
 現在、美術は市民の日常から遠いところに位置している。いかにして両者の距離を縮めるかというところに「美術による街づくり」の成功のポイントがありそうだ。

「環境」「文化」「地方」で登場

 「美術による街づくり」の中で、「彫刻のある街づくり」事業は、大きな比重を占め、かつ先駆けとしての位置を占める。次に、その変遷を簡単にたどりたい。
1都市環境整備のために
 最初に美術作品としての彫刻を市街地に設置する事業に着手したのは、山口県宇部市であった。公園課所管の花を街角に植栽する「花いっぱい運動」が発展し、一九六一年から「宇部を彫刻で飾る事業」が開始される。
 これは、野外彫刻展を開催、入賞作品を買い取り設置するという事業で、対象となる作品は、かつての銅像などとは異なり、社会的価値観やイデオロギーなどと無関係な、純粋な美術作品であった。
 この事業は都市環境を修景し、美観にすぐれたものとする都市環境整備の目的を持つ。当時宇部市は、石炭産業による公害や無秩序な市街地の形成が全国的に有名で、環境改善に対するニーズが強かった。一九六八年から宇部市の事業は、神戸市に拡大する。
2文化振興・地域の個性の表現でも
 一九七〇年代の中ごろになると、「彫刻のある街づくり」事業は急速に拡大する。その要因のひとつは、「文化の時代」という流れにある。この時期までは、客観性に欠ける文化を行政が取り扱うことに警戒感が存在し、積極的な取り組みは行われていなかった。
 ところが、所得水準が欧米諸国と肩を並べるに至り、市民生活の重点が経済的側面から生活全般の質的向上、とりわけ文化的側面に移行する傾向がみられた。自治体による文化行政の重要性が認識され、文化行政ブームが始まる。
 もうひとつの要因は、やはりこのころから盛んにいわれるようになった「地方の時代」という流れと関連する。高度経済成長と過度の中央集権化により喪失した地方の魅力や個性を回復し、機能性・合理性を優先することにより画一化してしまった都市環境に人間性をとりもどし、本質的、人間的な豊かさを創造しようという流れである。
 彫刻の設置事業はこのような事業の一環として、あるいは風潮の中で活性化する。結果が“形”になる事業は、分かりやすい文化行政として自治体に好まれた。都市空間に設置される彫刻に対し、生活空間に文化的要素を導入する、市民に芸術を普及啓蒙(もう)する、あるいは地域の個性を表現するというような意義が見いだされ、事業の目的に付加された。

「彫刻=文化」認識が問題

 こうして、設置事業はこれまでの都市環境整備、とりわけ景観形成に対する手段としてだけではなく、文化振興や地域の個性の表現にも貢献する、複合的な目的をもつ事業に変化する。
 長野市では一九七三年、八王子市では一九七六年、仙台市では一九七七年からそれぞれ異なる方法で設置事業を開始し、以後の他都市における事業のひな形となった。横浜市は予算を編成することはなかったが、民間活力を利用した独自の事業を展開した。
 一九八〇年代になると、設置事業は全国に拡大・波及する。多くの都市は、前述の先進都市を事例としながら事業を推進し、作品の傾向も事例とした都市と類似する。
3「町おこし」のための彫刻の登場
 都市における設置事業は以上のような展開により現在に至るが、一九九〇年ごろから田園地域でも新たな試みが開始される。これは一九八〇年代後半からブームになる「町おこし」「村おこし」ならびに竹下内閣の「ふるさと創生基金」と関連する。
 一九八八年神奈川県藤野町、一九八九年広島県瀬戸田町、一九九二年から北海道洞爺湖周辺の三町村がそれぞれ独自の事業を開始した。いずれも、風光明媚な自然地における事業展開が特徴となっている。
 目的は話題性の喚起とイメージアップによる観光振興、文化的雰囲気の醸成による地域社会の活性化にあるようだ。
 以上のように、彫刻設置事業は都市環境整備、文化振興、地域の個性の表現、地域活性化など多様な観点から多くの成果を上げた。また、彫刻家に作品制作の機会を提供し、彫刻自体の発展に大きく貢献するものとなった。
 ただ、開始から三十年以上を経過した現在においても、いまだに解決されていない問題がある。景観行政や文化行政の一環に設置事業が組み込まれることにより、「彫刻=花・緑」あるいは「彫刻=文化」というような短絡的ともいえる認識がまん延したことに起因する。
 こうした認識下では、彫刻でありさえすれば、どのような作品でも設置事業の目的を果たし得る。結果として設置された彫刻の多くは、わけのわからない「美術のための美術作品」か、さもなくば過度な民主主義的な配慮が災いし、大衆的でつまらない「消費者のための美術」になってしまった。
 市民は、自らの税金により身近な場所に設置された作品を見て、その作品が何を意味するものか、なぜ存在しているのか、何を目的に設置されたのかを理解できず、この状況は結果的に「彫刻公害」という言葉を生み出す一因になった。

重要な伝統美術の復興

 彫刻設置事業の成果と問題点を踏まえた場合、これからの「美術による街づくり」には、次のような方向性が求められると考えてよさそうだ。
 多くの設置事業は、行政から市民に一方的に作品が与えられるという傾向が強い。市民は、ある日突然、日常生活空間に出現する彫刻に驚かされてきた。これからは作品が選定されるプロセスの公開と、市民がそこに参加する機会が設定されなければならないだろう。
 また、彫刻設置事業以外の多様な美術にかかわる文化事業においても、情報公開と市民参加により、最先端の美術を選択しつつ、それを市民に親しめるものとする積極的な努力が不可欠だ。
 「美術による街づくり」は、それが行われる地域と密接な関係をもち、事業の結果は地域特性との関係で、必然性を保持するものでなければならない。こうした観点からの必然性が伴わない「美術による街づくり」は、その価値や根拠があいまいになりやすく、市民と美術の隔たりを埋めるものにはなりにくい。
 近年、公共的な場所に設置された彫刻など美術作品に対し、「パブリック・アート」という用語が用いられることが多くなった。確かに、個人が私的に所有する美術作品に対し、公共的な場所に設置された美術作品は、パブリック・アートと呼ぶにふさわしいものだ。
 しかし、本来、パブリック・アートとは、「美術のための美術」でも「消費者のための美術」でもない「社会化された美術」に対して、用いられるべき言葉だと思う。
 前近代社会において、人びとは宗教を媒介として美術と密接で良好な関係をもつことができた。現代社会において市民は、宗教やイデオロギーの呪縛から解放されると同時に、美術を失ったのである。
 こうした状況下にあって「美術による街づくり」は、「街づくり」を媒介として、市民に再び美術を取り戻すきっかけを提供するものとなる。つまり、「美術による街づくり」とは、美術の社会化を意味し、本質的な意味でのパブリック・アートの創造を意味するものである。ここに「美術による街づくり」の最大の可能性があるとみるべきだ。
 この視点から、近年実験的な試みの始まった、高水準の美術教育に着目する事業、地域に根ざした伝統美術の復興にかかわる事業、市民に本格的な作品の制作あるいは発表の機会を提供する事業などは、軽視できない重要な位置を占めている。


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