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宮崎県国富町
民話を題材に町民オペラを
地域に伝わる昔話を町誌で広報

国富町秋桜会会長

鬼塚栄子

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民話集めの原動力

 国富町は人口二万三千人の町。専業主婦だった私が、「何かしたい。何かを、生きていることの証をこの体の中でみつけたい」と、燃えるような思いを抱いた。そんな折、主人の友人が「おれはしもたことをした。近所に村のことを知っているじいさまがいたが、死んだ。もっといろんなことを聞いておけばよかった」と、くやしそうに語った。私はその言葉が妙に気になった。「もったいない」。そう考えたらもうじっとしていられない気持ちになった。それがすぐに民話採集に結びついたわけではなかったが、このときの気持ちが、のちに民話をオペラ化する大きな原動力になった。
 ちょうどそのころ私は、町の公民館報(町誌の前身)の編集員だった。年末の編集員会で新年度は読み物欄を設け、民話を連載することになり、私が担当することになった。昭和四十三年、私の民話との出合いはそんな形の中で生まれた。三十九歳のときである。

苦労が楽しみに

 民話採集といっても最初は雲をつかむようなことであった。町の誰が昔話や伝説を知っているか分からない。だが根気よく、町内を尋ね歩いた。大変な苦労であったが、最初に館報に載せたのは、おとぎぎつねの話だった(ときが原の女ぎつね)。
 民話が館報に載ったその日から町内に大きな反響があった。「こんな話があったんじゃろか。知らんかった」とか「来月の民話はなんじゃろかい」「楽しいからがんばって」「うちら辺のを書いてください」といろいろの声が集まった。
 そんな声が聞こえてくると、私は力が湧き、苦労が楽しみに変わった。
 町の人から「あのじいさんが昔話を知っている」といわれて行ってみると、よその県の話だったり……。
 こんなこともあった。
 「やんぼしどん」の話を聞きおえてかえるとき、「また来てな。今度はわしがいろんな本を読んで教えるわ」と、びっくりするようなことを言うおばあさんに出会ったり。
 しかし民話採集の旅は「おばあさんそれかりどうなったや」「それかりのう」七十過ぎのおばあさんの顔が、その目が輝きをますと、もう外の騒々しさからも遮断されて、おばあさんと私は、人間と動物たちとのつながりの深かった昔々のヘビどんやきつねどんの世界を歩きだす。おばあさんは目を細め、一生懸命に語ってくれる。私はひとつも聞きもらすまいとノートにメモする。
 民話は心のふるさと、その昔の人たちの生活の遺産。いにしえの文化を掘りおこしていくこの仕事こそ私が「生きている」ことのひとつの証になっていった。

人の生き方を教える民話

 いつの間にか私は民話のもつ素朴さに魅かれていった。幼いころ、いろりばたでよく父から昔話を聞いた。それはいくつになってもなつかしい。民話には夢があり、こらしめあり、教えあり、怒りが、笑いがある。私たちの子供時代のそれが炉ばた教育だった。
 民話には類似話といって、同じような話が全国各地にたくさんある。国富町にはおとぎぎつね、万太郎ぎつねという代表ぎつねがいたり、川にはカッパの話、山には神さまの話、里にはとんち者やがんこ者と、民話採集は私にとってまったく別世界の、楽しいそして素晴らしい生き方を教えてくれた。
 こうして集めた民話をまとめて昭和五十九年に『ときが原の女ぎつね』という民話絵本集を出版した。
 当時の町長が大変喜び、役場の第一会議場に紅白の幕が張られ、百二十人を招き「出版記念会」が催された。かつてないことだったという。この本は昨年、宮崎県立図書館が行った「二十一世紀の子供たちに伝えるみやざきの百冊の本」に選ばれたのである。

国富オペラの創出

 そして、この民話は平成元年からは創作オペラとなって、町の人たちにオペラという手法で民話を伝える機会を得た。
 町に秋桜会という音楽大学卒業の町出身者と在住者で結成している音楽グループがある。昭和五十八年に結成。私は音大出ではないが当時町議会議員であったため会長に招かれた。
 結成以来、隔年にサマーコンサートを開いていたが、町の人たちがどうしてもクラシックになじんでこない、そこでみんなで話し合った結果、民話を素材にした創作オペラをしようと決まった。
 平成元年九月、一作目「ときが原の女ぎつね」が上演された。構想四カ月、二日間で脚本完了、作曲三カ月、上演時間一時間。練習五カ月、町の改善センターホールで二日間公演。地元の人たちはそのほとんどがオペラは初めてという人ばかり。宮崎市内からも来場。それは大変なおどろきとにぎわいであった。小学生を招待する。
 二作目は「法華嶽の和泉式部物語」。一時間三十分の上演。構想五カ月。脚本四日間。初演は平成三年。配役が終わると町内外から四百人の有志により、「オペラを成功させる会」が会費千円で結成された。本格オペラとして新聞やテレビで報道された。県立芸術劇場開館記念にも出演し、全国オペラフェスティバルにも参加するなど、七回の公演を行った。町から補助金二百三十万円も出た。
 三作目は「出雲ん神と山ん神」。二時間の上演。構想六カ月。脚本五日間。平成八年三月、県立芸術劇場演劇ホールでの初演、入場できないお客さんが大勢いた。再演の声も出ていつの間にか「国富オペラ」と呼ばれるようになっていた。
 いま私は四作目の構想を練りはじめている。オペラの舞台に夢をはせながら、もうひとつのステージの「国富町民オペラ」として、この国富の地に、新しい語りのスタイルが確立される日を思い、胸をときめかせている。


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