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大分県野津町 「吉四六話(きっちょむばなし)」 をテーマにまちづくり 全町民が誇りと活力をもつ |
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野津町総務企画課企画係長 |
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増森和博 |
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野津町は大分県の南東部、県都大分市から三十キロに位置し、面積百三十九平方キロ、人口一万二百人で、町の中心部を東九州幹線道路の国道10号が縦貫している緑豊かな農山村である。
地方の時代といわれた昭和五十年当時、町商工会が中心となり、わが町が生んだとんち話で有名な「吉四六さん」こと廣田吉右衛門を町民の誇りとし、顕彰しようと「吉四六まつり」開催の動きが始まった。
時代は高度経済成長の最中で、町では過疎化現象が進行中であった。こういう状況のなかで、地域住民の間には、「このままでは町は衰退していく!」「若者が地区にいなくなる!」といった危機感が広がりつつあった。
そこで、行政・商工会・農協などを主体とした吉四六まつり実行委員会を発足させ、吉四六さんの四と六を取り入れた四月六日に近い四月第一週の日曜日に開催することを決定し、昭和五十一年四月に初の吉四六まつりを開いた。
町を挙げてのイベントは、これが最初であり、住民総参加の楽しいまつりは、老若男女笑いの一日となった。回を数えるに至って、県内では四月のまつりとして県民に広く周知されてきた。
「吉四六さん」が、野津町の住人であったこと、「吉四六話」が野津町を舞台として展開されていることなど、このイベントを通して町名が県内外に知れわたってくると、住民が「わがまちの吉四六さん!」に自信と誇りをもってきた。同時に野津町は、「吉四六さんのふる里」「民話の里」であるという意識が根付いてきた。
昭和六十三年十一月制定された町民憲章の第一章は「水と緑と民話の里にふさわしい文化を築きましょう」である。先人が築いてきた美しい郷土づくりの継承、発展を願ってのものだ。
そのころ、声楽家・立川清登さんの主演で、大分県民オペラ「吉四六昇天」が東京公演や海外公演したことも、町民が民話の里づくりを認識した要因にもなった。
平成元年度から三年間、通商産業省の補助事業を取り入れた「吉四六フェア」を開催した。これまで、農林業の振興、企業誘致等を推進してきたが、若者の流出や高齢化など、さまざまな課題が山積している現状を踏まえて、「町がもっている資源とは何か」「町の特性は何か」を地域住民が模索し、自分たちの町は自分たちで活性化しようとプランニングしたものが、この吉四六フェアの大きな意義である。
この間、町内では、吉四六オペラ、吉四六劇、人形劇、吉四六話の出前など、さまざまな文化活動が行われた。また、この「吉四六」をイメージシンボルとして効果的に利用し、農業・商工業などの経済活性化に、観光誘致に、町の施策から各種の行事、施設、特産物など、あらゆる場面で吉四六を冠に仕向け、町の統一イメージの形成を図っていった。
こうした一連の施策が功を奏し、吉四六ピーマンは西日本一の出荷実績を挙げた。また酒や焼酎、菓子なども順調に伸び、経済効果が目に見える形になってきた。
平成三年度から大分県が提唱した一村一文化事業の指定を受け、推進委員会を設立。各文化活動のリーダーを委員に委嘱し、吉四六話を核にした民話の里づくりの検討、実践段階へと進んでいった。
その中で、県内では有名な吉四六さんも全国的には大分県の民話だと知っている人は少ない。まず、全国の人に吉四六さんとそのふるさと野津町を知ってもらう必要がある。そこで、目をつけたのが、いまやお笑い業界で確固たる地位を築いている吉本興業であった。
吉本興業の快諾を得て、吉四六まつりのメーンイベントとして「よしもと新喜劇IN吉四六の里」が実現した。チャーリー浜や池乃めだか、桑原和男など吉本の看板スターと、オーディションを受けた地元住民が一緒になって楽しい新喜劇が公演され、当日は県内外から三万人の観衆が訪れた。さらに、このイベントが二時間のテレビ番組として毎日放送と地元大分放送のテレビで放映された。
もっとも、吉本興業が民話の里づくりに参画してくることについて、反発がなかったわけではない。関西のお笑いが豊後の民話吉四六話のイメージを損なうのではないかという危惧の声もあがった。話し合いを続け、とにかくやってみようという合意に達するまでにはかなりの軋轢があった。いまでは住民も、吉四六さんを全国区にし野津町の名前を売るには効果があったと評価してくれている。
吉本興業と野津町の付き合いはこれに終わらない。役場の若手職員を吉本興業のノウハウを学ぶために研修派遣し、吉本グッズの野津町での販売を取り決め、さらに、吉四六ブランドの野津町農産品の販路開拓のため、吉本のスターによるキャンペーン協力や、吉本ブランドの野津産品開発などの検討も進められている。
こうして全国に吉四六の里を売り込むかたわら、住民による吉四六を核とした文化活動を振興し、活動の拠点としての吉四六小劇場(笑劇場)やユーモア文化のメッカとなる吉四六資料館の建設も計画されている。拠点ができれば、日帰り観光コースとして吉四六定期バスを運行し、野津町に来ればいつでも、吉四六さんを楽しんでもらえる民話の里として、売り込んでいく予定である。
野津町は、「吉四六さん」の生まれた町。吉四六ばなしは、町民の誰もが共有する心の糧となっており、吉四六さんに徹底的にこだわったまちづくりと地域おこしを進めていきたい。
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