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宮城県気仙沼市
コメ作りから始まる酒造り
地酒を地域の誇りに

(株)男山本店専務取締役

菅原昭彦

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 田んぼがなくなり村がなくなり、私たちの酒造りにとって非常に大切なものが失われつつある。この状況をなんとかしていきたい、いま一度酒造りとコメづくりの結びつきを見つめ直し、宮城の酒の個性を取り戻したい。さらに酒造りがこれからの時代に働きかけていく有機的な産業となり得ないか、を考えてみたいということで平成四年、宮城県の造り酒屋の若手が中心となり、酒造りに理解を示してくれた一般の消費者の協力を得ながら県や経済連を巻き込み、酒文化フォーラム「宮城・米からはじまる」を開催した。
 このフォーラムは、私たち酒造りに従事する者に、改めて日本酒の意味を考えさせられると共に、自分たちの地域やコメ作りとの結びつきの大切さを教えてくれる機会であった。いまその意義を振り返り、その後、県内で始まった酒米作りについて紹介しながら、コメと酒、酒と地域の結びつきについて考えてみたい。

●●●酒造りは農業と密接な関係

 かつては日本中、特定の地域を除いてはどの地域でも日本酒は、その地でとれたコメを使って造られた。そこでは酒造りは、自然や農業と一体となって発展・継承されてきた。
 最近では、日本酒がコメから造られていることを知らない人が増えているともいわれている。しかし、その原点を深く見つめ直していくと、日本独特の気候・風土の中で、カビを利用するなど“いかに自然と調和して生かされていくか”という日本人の自然観に到達し、先人の知恵の深さに驚かされる。と同時に、農業との密接な関係が浮かび上がってくる。
 地酒とはそもそも、その土地のコメを使い、その土地の水で仕込み、その土地の気候風土で醸されてはじめて地酒たりうるものだと思う。ところが、最近は、消費者の高級酒志向に伴い、品質が良好で安定し、酒を造りやすいということで評価の高い酒造好適米に需要が集中し、特定地域(主に近畿・中国地方)からの移入米に頼る傾向が強くなっている。
 その一方で地元での酒米栽培や新品種の開発に力を入れている県も増えてはいるが、とりわけ宮城県の場合は、全国有数のコメどころであるにもかかわらず、酒米に対する関心は極めて低く、東北圏で唯一、酒造好適米および酒造用米のほとんどを、県外からの移入に頼っていた。
 原因はいろいろ考えられるが、一番大きな問題は、本来一体となるべき酒造りとコメ作りが宮城県の場合、全く結び付いていなかったということである。私たち宮城県の酒造業界のなかでは、ただ酒を造って売ればよいという考え方が長年支配し、そこでは、経済性が何よりも優先してきた。常に造って売ることばかりに目が向いて、コメは予定数量が確保できて価格は安いほうがいい、あるいはコメの手配は全く人任せか無関心、そんな状況が続いてきた。昭和六十二年、宮城の酒蔵は宮城産清酒のアイデンティティを取り戻すべく全国に先駆けて「純米酒の県」宣言を行い、宮城県産ササニシキ一〇〇%の純米酒の需要拡大に力を注ぎ始めたが、実際には、とりあえず「ササニシキ」というコメに目を向けたものの酒造りにとって本来大切にしていかなければならないコメ作りというものに対して、ほとんど目を向けていなかったのである。

●●●コメから始まるストーリー

 フォーラムを契機に、コメの品種開発の現場である農業試験場の担当者から、「あなた方は酒米、酒米と言うけれどどういうコメを開発してほしいのか。二十年来だれも言ってこない」。さらに県内で唯一酒米栽培を地域ぐるみで行っている農協から「せっかく酒米を栽培しているのだから、作っている人たちに何か励みになるようなことはないか」という話を耳にし、いかにコメの作り手とのつながりがなかったかを思い知らされた。コメから始まる酒造りのストーリーを自ら断ち切り、酒造りの楽しみを半減させていたような気がする。

●●●蔵元と農家が一体化

 さて、私たちの業界として反省すべき点が多かったフォーラムであったが、現在に至るまで多くの成果を生んでいる。折しも、平成五年は大凶作の年であり、コメの自由化も進んできた。こうしたことから、酒造業界では、コメの生産地として酒米に対する関心が高まってきた。農業試験場では、冷害に強い酒造好適米の開発を行い、それを受けるように宮城県では、平成八年度から「酒米の里」構想を企画し、新品種の栽培に試験的に着手した。
 また、県内のコメの生産地も一般的な酒米(酒造好適米の次のランク)の栽培に力を入れるようになり、急速に地元産の酒造米の比率が高まってきた。一方、民間の取り組みも活発化し、県内数カ所で蔵元と農家が一体となった酒米作りが行われている。
 私の蔵がある宮城県北の気仙沼・本吉地域でも、若い酒販店の人が理解と興味を示してくれ、飯米一辺倒の農家の人たちを説得し、農家以外の素人だけの栽培会をつくり農家の人の協力をいただきながら酒造好適米の栽培と地元米による酒造りを三年にわたり行っている。田植えや稲刈りには、いままで農業と無縁だった若者も多数参加し、酒とコメの関係を体験を通して学んでいる。

●●●酒に地域のロマンを

 コメと酒の関係を考えながら、いま実感として言えることは、いつの時代からか、かけ離れてしまったコメと酒の深いつながりを、経済の論理だけのつながりだけでなく、コメの作り手、酒の造り手という人と人を介した中でとりもどし、双方が地域と酒に誇りを持ちあえる関係づくりをしていく。これによって酒にひとつの物語が生まれ、地域にロマンがつくり出されていけるのではないだろうか、ということである。
 地酒をもたない町は寂しいと、ある友人に言われたことがある。私たちは、まだ始まったばかりではあるが、コメを通していままで以上に地元にしっかりと根をおろしていき、地元の人が誇りに思えるような酒を、またそのコメを作ってくれた人たちを私たちが誇りにしながら、地元米による酒造りをさらに進めていきたい。


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