酒と肴と風流と

地方公務員共済組合連合会事務局長

平谷英明

 吉井勇といえば、「かにかくに 祇園はこひし…」の歌をもち出すまでもなく、酒と女と祇園を愛し、艶生涯を送ったことで有名であるが、この吉井勇が「干しうるめ肴に土佐の 酒飲みし その日思えば 鰯悲しも」という歌を詠んでいることはあまり知られていない。
 南国の黒潮の恵みを受けて大きく育ったうるめ(イワシに似たニシン科の魚で、目が大きく潤んで見えることから潤目イワシと言われる)の干物をかじりながら、土佐の辛口の酒を豪快に飲む喜びは、祇園で舞妓の踊りを見ながら飲む酒とは一味違った趣があったことであろう。ことほどさように、その土地土地の風物の中で、その地の産物を肴に地酒を飲むことは楽しみのひとつである。 
 ところが最近は、困ったことにというか、うれしいことにというか、その土地の産物でないものにもよくあう地酒がでてきている。全国各地で若手の酒造家を中心に改良が進んだ吟醸酒などがそれで、ワイン感覚でキャビアやロブスターなどにもよくマッチする。
 そうなると、どんな肴でも、洋の東西を問わず、酒の銘柄選択と料理法さえよければ、立派な一品の肴と相成るわけである。
 それでは、最も風流な肴とは? 筆者は徒然草にいう「なめ味噌」を思い出す。これは時の執権最明寺入道時頼が家来と酒を飲もうとして、家来が台所の棚から見つけた「小土器に味噌の少しつきたる」を肴に、酒を酌み交わした故事による。兼好法師も「その世にはかくこそ(質素に)侍りしか」といっている。
 最近、地方行政をめぐっていわゆる「カラ出張」や「官官接待」が問題になっているが、筆者自身も行政に携わるもののひとりとして、心せねばならないことと考えている。
 この「なめ味噌」に天竜寺の峨山和尚の「水腹酒」が加われば、風流はさらにいや増す。水腹酒というのは、村人がもってきてくれた御神酒を茶碗にあつめ、それを見ながら水を何杯か飲み、水が腹に相当たまったところで、茶碗酒を飲み干し、何杯も酒を飲んだ気分になろうというもので、檀家に一声かければ、名僧峨山の頼みとて、いくらでも酒が集まったにもかかわらず、あえてそれをせずに、痩せ我慢を張り通したところに得も言われぬ甘露味がある。

 これにさらに、李白の「月下独酌」にいう名月が加われば、言うことなしである。
 ただし、この飲み方(月を見ながら、なめ味噌を肴に水でごまかしながら酒を飲む)はよほど注意しないと、単にお金がなく、飲み仲間もいない寂しい人と誤解されるおそれがある。風流もこれでなかなか大変である。


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