平成22年7月特集 祭り文化の再生と地域活性化

京都府長岡京市

歴史資源の掘起しで地域再生
―自治会結成40周年を機に夏祭り復活―

長岡京市 柴の里自治会 会長

山方久蔵

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低調だった地域活動を盛り上げた歴史ロマン

長岡京市は、京都府の南西部に位置し、人口八万人の小都市である。約千二百年前、桓武天皇が平城京から平安京へ遷都される間の約十年間、都があったと遺跡発掘などで証明されている。いわば「まぼろしの都」として語り継がれていた、ロマンの街だ。

西は、天下分け目の戦いで有名な天王山を有する西山連山、東は京都市内へと視野が開ける。近年では街の中央を二本の鉄道が走りJR大阪駅まで三十分、京都駅まで十五分、阪急電鉄では大阪梅田駅まで三十五分、京都河原町まで十五分と交通至便の地で、大阪、京都など大都市のべッドタウンとして栄えている。

柴の里地域は緑豊かな田園地帯であった。昭和三十〜四十年代の日本経済の高度成長期に長岡京市の人口は急増。昭和四十三年当時、長岡町今里の一部だった柴の里地区は宅地造成工事で誕生した。

地名は工事を手掛けた会社の頭文字「柴」と、今里の「里」に由来する。自治会組織の結成もこの年である。そのため神社仏閣や古来の地域の伝統、風習がなく新住民の絆も希薄であった。昭和六十三年の京都国体を機に自治会活動も活発になったが、今日では他の地域と同様、住民の高齢化に伴い地域活動も低調になっていた。

平成二十年は柴の里誕生、自治会結成四十周年の佳節の年であった。これを地域再生のチャンスと決意したのである。

鴻臚館のあった地名が千二百年も伝承されてきた

鴻臚(こうろ)館は、外国の使節団や賓客を接待した役所で、今から千二百年余り前に平城京の難波鴻臚館が、長岡京に移設され、十年後の平安京に移る間、長岡京鴻臚館として柴の里にあった、と口伝されている。

この地で先祖代々居住し、農作業に従事してきた複数の古老の話を聞くと、昔から「こうろ」は口伝として語り継がれてきた。京都新聞社発行の「乙訓山城の伝説」に鴻臚館があったとの伝説が記述されている。また、長岡京市教育委員会発行の「長岡京の語り部」にも柴の里に鴻臚館があった、との伝説の存在が記載されている。

地域の歴史や伝統に乏しい新興住宅地に住む私たちは、自治会結成四十周年を記念して長岡京迎賓館想定の地という歴史的資源を掘り起こすことにした。「京都府地域力再生プロジェクト」の支援を受けて「鴻臚館」再現を町おこしのきっかけとした。町のルーツをしのび住民が誇りとする町づくりのために、長岡京鴻臚館を顕彰する碑文モニュメントを建設し、「鴻臚の郷祭」として夏祭りを再生させた。

「鴻臚の郷祭」として柴の里の夏祭りを再生

柴の里の夏祭りは、昭和五十五年に酒樽に提灯を巻きつけた「樽みこし」を作って町内を練り回ったのが始まり。このスタイルは平成五年まで続けられた。当時は子どもたちも沢山いて、「樽みこし」も夏祭りを彩り盛り上げるのにそれなりの成果を上げた。

形が普遍的でオリジナリティーに欠けることから、平成五年の自治会結成二十五周年を機に、みこしの形態を大きく変えた。

「新みこし」製作に当たってのコンセプトは、提灯を単に装飾ではなく地域の細胞組織とし、自治会を支える「班」の顔として住民の結集と団結、連帯をシンボライズし、飾り付けした。夏祭りの催事から「神輿」をイメージしたが、宗教的な神輿ではなく夏祭りにマッチした演出用の「みこし」とした。平成七年には「囃子方座車」を加え、独創的な「提灯みこし」の巡行スタイルとした。

「提灯みこし」や「囃子方座車」は、山田静人氏が柴の里地域の子どもたちに「ふるさと文化」の創造を末永く伝承してほしいとの思いで、個人技で手作りし寄贈してくれた。

そして平成二十年、今までの夏祭りを一新した第一回「鴻臚の郷祭」を二日間、開催した。一日目は長岡京市長や市議会議長、教育長など多くの来賓を招いてモニュメントの除幕式や将棋、お手玉など子どもたちと大人の昔の遊び、スイカ割り、前夜祭として映画の上映も開催した。屋台の店も大人たちや子どもたちの楽しみの一つであった。

二日目は子どもたちと住民、総勢二百人でみこしの巡行、青年部による威勢のいいみこしの練りこみ、夕闇が迫るころは「お年寄りとこどもたちの合唱」、フィナーレは「盆踊り」で大きく盛り上がり、多くの住民とともに、夏の夜を楽しんだ。この時から地域住民も「こうろ」への関心の高まりを強く感じた。

第一回鴻臚の郷祭の参加者数は約六百人、第二回は七百人の参加者があった。今年八月には、第三回鴻臚の郷祭を挙行する。地元の菓子店も千二百年前のもてなしを今に甦らせる銘菓として、長岡京市特産の筍を甘露煮にしてあしらった和菓子「鴻臚の郷」の発売を始めた。

住民の絆が強まり地域活動が活発化

柴の里自治会は三百六十六世帯で、このうち七十歳以上の高齢者が二百十六人の高齢化社会だが、元気で生き生きと地域活動に取り組んでいる。

この年には多彩な行事を行った。五月には、長岡京市長や市議会議長ら多くの来賓を迎え記念式典を行い、「紅白の花ミズキの植樹」や祝賀会を行った(参加者八十人)。十月の「市民運動会」は校区で第三位だった。十一月は「芸能バラエティー」を行った日本舞踊や詩吟、謡曲、カラオケなど多彩な芸を披露した。

また「鴻臚の郷に育む作品展」と称して文化祭を開催。絵画や切り絵、彫刻など多くの作品が展示され住民の趣味の高さに驚いた。地域に住み、縁を結ぶ人々が悠久のロマンをしのび、誇りをもって明るく闊達に地域活動に励んでいる。この祭りを機に、自治会に青年部を結成した。若者と年寄りがしっかりとした絆で、元気で明るいまちづくりめざして活動している。

翌年二月の大寒の時期には、東南海地震(震度7)が発生し、西山活断層がさく裂した―との想定で、住民百五十人が参加した防災訓練を行った。十歳から七十歳までの十五人が氷点下の温度のテントの中で、昼夜を過ごす耐寒訓練を行い、睡眠状態などデーター取りを始め、炊き出し訓練、給水訓練など真に迫るものであった。

また子ども会、年輪クラブ、青年部、コアふれまち等で構成するシネマ委員会を結成して、毎月一回シネマ館(自治会館)で映画を上映し、老若男女のふれ合いの場となっている。

柴の里自治会は、二十周年、三十周年の節目、節目を契機として発展してきた。この歴史を鉄道に例えるなら、柴の里銀河鉄道≠ヘいま四十周年と言う駅に着き、新たなエネルギーとして「鴻臚の郷祭」や青年部の人材と深い絆を満載して、次の駅を目指し永遠の都へと出発した。