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「おもしろいことをやろう」「楽しくやろう」ということで結成された「面白ちんぐ倶楽部」。やることが面白くなければ誰も参加しないし、長続きもしない。やるからには、面白くて誰でも気軽に参加できるようにしたい。強制や束縛もなしに自由にできることなら、何でも飛び付こう。
このような単細胞の集まりの中から生れた「汚れなき純真無垢な田舎もん集団」である。「みんなで通れば怖くない」という名文句を拝借、皆で実行に移せば烏合の衆が賢者の衆になれるという厚かましい考えの下に、ない知恵を出し合い…これは、私どもの事務局長村田氏が「あしたの日本を創る協会八九年度ふるさとづくり賞」入賞の時のレポートの一節である。
発足は一九八四年、オーストラリア青年代表団の受け入れ事業に始まる。その後、県内留学生のワーキングホリデイ、一線譜の(障害を持つ)子供たちのコンサート、九州太鼓フェスタ、九州ムラおこしサミット開催と精力的に活動を続けてきた。その中で、一番学んだことは一つ一つが目的ではなく、手段であると悟ったことである。
◆手づくりの国際交流を目指す
今までのノウハウやネットワークを生かし、九一年から手づくりの国際交流を目指して、マレーシアに青少年を派遣するチャンポール計画を開始。この事業が縁で人の交流から文化の交流へ、そして相互の交流事業へと発展した。県内はもとより全国的に評価され、九六年に国際交流基金地域振興賞の受賞へとつながった。今もなお、この相互交流事業は継続中である。
現在は本土と結ばれ、離島ではなくなったが、以前は離島というハンディを逆手に取った交流活動の数々であった。例えば国際交流の柱として「トラブル歓迎」「ノーと言える国際交流」など、独自の考え方や他の団体にはないコンセプトで事業を進めた。私どもが長い活動の中で培ってきたネットワーク、ノウハウを熟成できたのも、多くの仲間や活動支援者の力添えがあったからこそ、今日まで続けてこれた。
どこにでも真似できないようなオリジナルなものを、たくさんの人と考え、つくってきた。それが基礎となり県内に多くの支部を設け、会員も増えていった。しかしながら今も昔も、会員の出入り自由と会則・会費なしは変わらない。そしてこれからも変わらぬ普遍化と個性ある活動。
私は思う。活動一つ一つ思い起こすと、感動がたくさんあったこと、感動の受け渡しを忘れない人々が今も、これからもいるということである。感動を得たすべての人々が行動集団として動いているということを常に感じている。
◆住民意識と地域力向上が課題に
事業を目的化することではなく、人と人との結び付きがさまざまなコトづくりにつながっていることも学んだ。自ら属する団体にのみ、いつ情報を還流させるのではなく、支え合う人々にいつ情報と力を貸すことが活性化の一助になるかも、長い年月の活動の中で学ぶことができた。
本当にこれからは一つ団体や地域が突出するのではなく、住民意識と地域力が向上することこそ、地域に与えられた課題だと思う。そのためには互いに学び合い、分かち合い、助け合いながら、パートナーシップを財産に世界を見詰め、地域に生きることを合言葉に、がんばっていきたい。 |