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沖縄県 健康・長寿の「沖縄」をブランドに わしたショップを全国展開 |
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(株)沖縄県物産公社代表取締役専務 |
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宮城春一 |
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復帰がもたらしたNBのはんらん
沖縄は、長い米軍支配により、基地依存の経済体質となり、物づくりを担う第一次、第二次産業の規模は極端に小さく、第三次産業に片寄った産業構造になった。その結果、貿易収支は恒常的に入超となり、赤字補てんしたのが基地から派生する収入であり、日本政府の援助金であった。
この経済構造は、昭和四十七年の復帰によっても基本的に変わることはなかった。復帰によって一体化した経済は、急速に本土化し、ナショナルブランドの製品が市中にはんらんすることとなり、地場の産業は衰退の一途をたどった。このことに強い危機感を抱いた産業界は、地場産品である県産品の使用奨励運動を展開するとともに、沖縄県に対して製造業の振興策を強く求めた。
時あたかも沖縄電力の民営化が実現し、政府保有株の売却が俎上にのぼっていった。
沖縄県は、好機到来とばかりに売却益から百億円の産業振興基金を造成することを政府に強く要求し、その実現をみたのが六十三年であった。
流通の解決へ三セク構想
沖縄県のような島しょ県で産業振興なかんずく製造業の振興を図るには、流通問題を解決しなければならない。とくに産業が未成熟で中小零細企業が大部分の沖縄においては、メーカーが独自で流通を開拓していくことは至難なことといわれた。そこで産地問屋機能を持った卸・小売販売会社を第三セクターとして設立する構想が、沖縄県、産業界で検討された。
当時、同じような理由からすでに岩手県や長崎県に先進事例があったので、両県を視察するとともに、産業界、物産振興会関係者との検討会議を重ねた結果、ようやく、関係者の同意を取り付け、資本金二億五千万円で(株)沖縄県物産公社を立ち上げることにしたものである。
平成五年に(社)沖縄県物産振興会を発展的に解消し、(社)沖縄県工業連合会の物産展示販売センターを統合して発足した(株)物産公社は、初年度の総取扱高十億円、従業員数三十七人であった。
わしたショップが相次いでオープン
六年三月に銀座わしたショップを開店し、続いて名古屋わしたショップ、七年には、海外支店の台北わしたショップを開店した。その年、沖縄県県産品販売センターを移転し、わしたショップ本店を開設、同年の十二月に資本金を現在の四億四千五百万円に変更した。
さらに、九年には大阪わしたショップ、十一年に札幌わしたショップおよび空港わしたショップをそれぞれ開設、現在に至っている。その間、国内のわしたショップは順調に業績を伸ばしたが、台北わしたショップは業績が低迷、ついに十三年に休業のやむなきに至った。しかし、十四年一月に台湾がWTOに加盟したことから、今後の貿易の自由化が進展することが期待できると判断、本年六月にリニューアルオープンし、支店活動を再開した。
このように物産公社は、わしたショップを中心に業容を拡大するとともに物産展や卸販売、通信販売にも力を注いだ結果、十四年三月期の決算では、総取扱高六十億四千万円を記録し、経常利益も一億三千万円余を計上することができた。
さらに、設立後九年目でようやく配当を実施できたことは、経営を預かるものとして、これ以上の喜びはない。
このように、物産公社の業績はいたって順調のように見えるが、これには沖縄県の資金援助が大きな力になったことは言うまでもない。設立時から、今日まで十億円余の公的資金が投入されたことは記憶にとどめておくべきであろう。
また、昨年の役員交代期に内紛があり、多くの取引先に多大なご迷惑をおかけしたが、大方のご理解をいただき、従来にも増して取り引きを拡大していただいたことは、第三セクターとしての公的信用と当社職員に対する信頼の証であり、何ものにも変えがたい財産として、今後の経営に生かしていきたいと社員一同肝に銘じているところである。
ところで、沖縄の物産はそのすべてが中小零細業者により生産されており、メジャー商品となっているものは一つとしてない状況であった。また長い間、沖縄県内のマーケットを中心に販売していた商品であるため、新しいマーケットでは試食、試飲販売などの説明を要する商品が大部分で、認知してもらえるまでにかなりの時間と人手を要したことなど苦労の連続であった。

すき間市場を開拓
これらのハンディキャップは、ある意味において当社にとって、有利に働いたといえる。つまり、商品がメジャーでないため、大手は関心がなく、商品の認知をしてもらえばリピーターとなり、メジャー商品のはんらんする巨大市場のすき間を縫って拡大していくことができたからである。
さらに、食の安全に対する信頼感が大きく揺らぐ中で、国民が健康と長寿に多大な関心を持つようになったことなど、長寿県沖縄の地域イメージを高める客観的要因が増え、従来にも増して沖縄ブームとまでいわれた状況が出現した。そのうえNHKのちゅらさんの放映による沖縄のおばぁの元気、高校球児の健闘の影響など、元気印の沖縄が大きくクローズアップされたことなどが背景にある。
いまや沖縄のイメージとして「健康、長寿、安全、安心」がキーワードとして定着している。亜熱帯、海洋性気候による温暖な気候は、まさに都市文明に疲れた人間の心と体をいやし元気を取り戻してくれる。物産公社の試みは沖縄のイメージをブランド化したと言えよう。
さらに琉球王朝時代からの伝統文化や工芸は、先人の遺産として今に息づいており、沖縄の光、音、風が訪れる者をやさしく迎えてくれる。青い海、青い空、白い雲は沖縄を代表する景観として人びとの心をとらえて離さない魅力がある。
このような気候風土にはぐくまれ、育った物産は、健康、長寿をもたらし食への安全、安心をつなぎとめてくれるものと確信している。
当社としては、全国の沖縄ファンの要望や、健康、長寿を願う人びとの要望に応えるべく中期経営計画に基づいて、十六年度までに全国主要都市にわしたショップのFC店、特約店の二十店舗開設を目標に、今年度中には首都圏で直営店を含め二〜三店舗の開設を計画している。

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