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滋賀県びわ町 冨田(とんだ)人形共遊団 人形浄瑠璃が地域コミュニティの絆に 米国とも草の根交流 |
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(財)地域活性化センター情報サービス課副参事 |
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小池一尚 |
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今回訪れたのは、滋賀県東北部、琵琶湖東岸に位置するびわ町の北富田地区で活動している冨田人形共遊団(以下、共遊団)。古くからこの地域に伝わる「冨田人形」を媒介として、住民のコミュニケーションの強化と団結を図っているという彼らの活動について、共遊団の中心的役割を担ってきた団長の阿部秀彦さんにお話をうかがった。
地域復活の願いを込め再結成
―天保六年(一八三五年)、大雪のため興行に失敗した阿波の人形座が、帰りの路銀のカタに、人形の頭や道具類を村人に預けていった。しかし、いつまでたっても引き取りに来なかったため、村の歌舞伎愛好者がそれらを使って人形の稽古を始めた―。これが、冨田人形のことのおこりであるとされている。そして、明治七年には正式に滋賀県の興行許可を受け、昭和三十二年には滋賀県の無形民俗文化財に認定されたという、歴史の古い土着の人形浄瑠璃である。
しかし、昭和になって押し寄せる社会構造の変化の波はこの地区にとっても例外ではなく、専業農家は一軒もなくなり、休日や夜間の勤務も多くなるにつれ、いつしか冨田人形は休眠状態になってしまった。「地域はだんだん、水くさくなっていきました」と阿部さんは当時を振り返る。
そんな中、昭和五十四年に冨田人形をもう一度復活させようという動きが若者の中からおこり、今の冨田人形共遊団が再結成された。再結成に当たっては、「冨田人形の保存・伝承はもとより、人形の力を借りて地域社会を復活させることも、もう一つの大きな狙いでした」と阿部さんは語る。
現在は男性十四人、女性四人の十八人がメンバーである。メンバーの職業は公務員、会社員、団体職員などさまざまであるが、大半が北富田地区の人たちである。何より、かつての女人禁制という決まりを捨てている点が今の共遊団の大きな特徴だ。
筆者が取材に訪れたときは、ちょうど公演の五日前、練習にも一層緊張感がみなぎるころである。練習会場であり、共遊団の活動の拠点である冨田人形会館にメンバーが集まり、練習が始まったのは午後九時を過ぎてからであった。皆忙しい中、何とか時間をつくって年十数回の公演をこなしているようだ。
人形が架け橋に
共遊団は公演活動のほか交流活動にも力を入れている。まずは米国との交流活動だ。米国公演は平成十一年から毎年行っており、何と昨年は米国同時多発テロ発生からわずか一カ月後の十月に上演した。もちろん初めは中止にしようとしたが、「ぜひ来てほしい、中止しないでほしい」との旨の手紙やFAXが何通も届き、その熱意に何とか応えようと、危険を承知で渡米したとのことである。「初めは何とかしてあげたいという一心でしたが、あんなときでも彼らが人形を純粋に楽しんでくれたことが、こちらにとっても逆に励みになりました」と阿部さんは語る。
冨田人形と米国の架け橋となったのが、ベレア大学教授のマーティン・ホルマン氏である。彦根市にあるミシガン州立大連合日本センター所長であった彼は、日本にいたとき冨田人形に興味を持ち、何と実際に共遊団のメンバーとして活動していたという。人形を通じたホルマン氏との交流の過程を阿部さんは「はじめは『外人』として異質な人という意識でしたが、一緒に人形を動かしていくうちに自然と『ホルマンさん』という意識になり、違和感が全くなくなりました」と振り返る。人形が心の国境を取り除いてくれたのであろう。
ホルマン氏は共遊団の米国公演の仲立ちをするだけではなく、冨田人形を学ばせるため、自分の生徒たちを留学生としてびわ町に派遣している。たまたま取材のときに冨田人形会館に遊びに来ていた同大学三年生のセレスト・リーさんもその一人。大阪で文楽を見て人形浄瑠璃に感動したという彼女は「ここで実際に人形に触れてみることで、人形浄瑠璃に対する興味がさらに深まりました」と話してくれた。彼女たち留学生は、地元の小学生たちと人形浄瑠璃を競演したり、共遊団メンバー宅へホームステイしたりして、びわ町の人びとと草の根の交流を行っている。
また、他の交流活動として、長野・岐阜・滋賀・愛知・三重五県の十一団体で構成される中部文楽サミットに参加し、人形浄瑠璃を持つ中部地区の保存会同士で共演、意見交換などを行っている。同サミットは今年で一巡するということだが、「今までは人形を維持することの課題や悩みなどを話し合うことが多かったけど、これからはより技術を高めるためのサミットにしたい」と阿部さんは前向きだ。
後継者養成と財政運営が課題
とはいうものの、共遊団も同サミットの他の団体同様、後継者養成と財政運営には苦心しており、各メンバーがそれぞれの技術と知恵を絞り出しながら、何とか頑張っているというのが現状のようだ。
まず、後継者養成面では、地元の子供たちに冨田人形を身近に感じてもらうため、びわ北小学校の人形クラブにメンバーが指導に行ったり、地元の小中学校の「総合的な学習の時間」において人形浄瑠璃を上演したりしている。「子供のころに冨田人形に親しんだ記憶が、古典を習うころによみがえり、その子たちがまた戻ってきてくれたりするんです」と阿部さんは期待を込めて語る。子供のころにいかにして人形に馴染ませるかが、冨田人形伝承のカギとみているのであろう。
また、財政運営面では「冨田人形応援団」と称し、カンパを募っている。しかし、それでもまだまだ足りないため、壊れた人形は自分たちで修理、人形の衣装も人間の着物を人形用に直した物だ。「人形用ではないのでとても重いんです」との言葉どおり、人形は大変重いものであった。客席では分からない苦労が垣間見られた。
人形があればこそ
なぜ、ここまで苦労して冨田人形を守っているのであろうか。その答えは、「人形がなかったら、この辺にはもっと人はおらんかったかもしれませんなぁ」という阿部さんの言葉に集約されよう。
冨田人形は「主遣い」「左遣い」「足遣い」という三人の人形遣いの息がぴったりと合って初めて命を吹き込まれる人形だ。そのほかに「浄瑠璃の太夫」「三味線」「舞台道具方」など、さまざまな人びとがかかわらなければ公演は成り立たない。すなわち、地域ぐるみで支える冨田人形は地域の連帯がなくては成り立たないものなのである。
共遊団再結成をきっかけとして、地域の人びとの間に「自分たちの人形を自分たちの手で守ろう」という共通の意識が再び芽生えるとともに、自分たちの地域における役割感や、地域を大切に思う気持ちも同時に醸成されたのではなかろうか。今では共遊団のメンバーではない地元の人たちも、衣装の修理や照明などを積極的に手伝ってくれており、「やっと地域はかつての結びつきを取り戻しつつあるようです」と阿部さんはしみじみと話してくれた。
偶然地域にもたらされた人形を先祖代々大切に守ってきた。今度は人形が、失われかけていた地域の連帯感を取り戻してくれた。天保の時代の質草は、思いもよらない果実を地域にもたらしてくれたようだ。
冨田人形共遊団●プロフィール
設立年=昭和55年2月
設立・運営主体=自主的組織
会員数=18人
代表者=阿部秀彦
事務局連絡先=〒526-0131 滋賀県びわ町冨田935
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