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栃木県湯津上村
日本一の天狗自負にむらおこし
運営は行政から住民主体へ

湯津上村企画調整課庁舎建設準備係長

長谷川操

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 赤い顔に高い鼻、山伏の格好をして手に羽団扇をもち、空中を自由自在に飛行する。天狗といえば、一般的にこんなイメージがある。もちろん架空の存在だが、全国各地には天狗に関する伝説や、これを祀る社寺などは数多い。
 栃木県の北東部に位置する湯津上村。北には大観光地那須を控え、東には鮎釣りのメッカ、清流那珂川が流れる農村地帯であるが、古墳などの歴史遺産も数多く、古代那須国の中心地域としての栄華を今にとどめている。

天狗の鼻が村助け

 こうした本村にある天台宗の古刹、通称光丸山法輪寺として親しまれているこの寺には、高さ二メートル、重さ一トンにも達する巨大な天狗面が奉納されている。寄せ木造りとしては日本一の大きさ。昔、暴風で木が倒れ天狗堂が破壊されながらも、中の天狗は倒木を鼻の先でしっかり受け止めたという逸話もある。その鼻の長さは実に一・三メートルもある。
 そもそもこの大天狗面は、一八八〇年(明治十三年)、本村の南方にあった東富山村(現在の栃木県馬頭町富山)の住人が奉納したもの。当時同村内では盗難や火災が頻発し、これらを天狗の仕業と考え、これを鎮(しず)めるために光丸山へ奉納したと伝えられている。
 天狗の伝承については、鬼や山姥とともに、山の支配者である山の神としての信仰のほか、山中で起きるさまざまな怪奇現象を天狗の仕業としたり、天狗が人間によって簡単に欺かれてしまう愚かな存在として伝承されたりするなど、地域によってさまざまな姿に描かれている。
 東富山村の例に見られる天狗のつけ火は、天狗が粗末に扱われた火を取って火災を起こすというもので、あちこちに飛び火し、どんなことをしても消火できないといわれている。
 この反面、防火の神としてのいわれもある。冒頭のイメージのように、山岳での修行を通じて超自然的な能力を獲得しようとする修験道と深いかかわりがあるという。修験道の教義類に天狗は登場しないものの、修験者の火渡り修行や、崇拝対象の不動明王が光背に火炎を背負っていることなどから、火伏せの神としての信仰が生み出されたといわれている。
 ところで、大天狗面が安置される光丸山は、毎年十一月三日(平成十年までは十二月十三日)の大縁日に神輿の渡御が行われている。寺と神輿? と不思議に思われがちだが、同寺は神仏習合の名残を残す珍しい寺としても知られている。梵天の後に、天狗面、高足駄、手には矛という猿田彦が先導し、香箱、僧侶、白の行衣をまとった行人が担ぐ神輿と続く。かつては近くの川をまたいで立つ鳥居をくぐって身を清め、奥の院まで詣でていた。
 猿田彦は一般に道の神、道祖神として知られるが、天孫降臨の際、ニニギノミコトを案内するために道の途中で待つ神様として『日本書紀』の中に登場する。記述されたその風体がまさに天狗をイメージさせ、ここから猿田彦が天狗の祖とされている。その有様を光丸山の神輿渡御でかいま見ることができる。

天狗をミニ独立国のシンボルに

 昭和六十三年、本村の中央部で温泉掘削に成功。にわかに温泉活用の活性化熱が高まり、温泉浴場を皮切りに、研修・宿泊施設、公園などを次々に整備していった。
 こうしたハード面を整備する一方、この時期は、地域PRの手法の一つとして「ミニ独立国」の建国ブームが巻き起こっていた。同時にふるさと創生資金の登場もあって、本村としても大勢の参拝客を集める大天狗面に着目。その大天狗面をシンボルとして、平成元年、「てんぐ」の語呂合わせで、十月九日に「住民が一致団結して人づくり、組織づくり、地場産業の拡大、観光開発に努め、国際社会において名誉ある地位を確立すること」を目的としたミニ独立国「天狗王国」の独立宣言を発したのである。
 建国当初は、シンボルマークやのぼり、天狗だるまの制作、王国音頭の創作、天狗踊り振り付けなど、王国PRの必須アイテムを次々につくり上げ、対外的なPRに一役買ってきた。
 王国の運営は、行政主導といわれながらも、基本的には村内の農業や商業などのさまざまな業種、女性や高齢者などのさまざまな世代のリーダーを構成員とした天狗王国推進協議会による。建国後十有余年が経過し、この間多くのミニ独立国の活動が休止、消滅した。天狗王国が生きながらえているのは、シンボルが日本一の自負をもてる揺るぎない存在であること、全村体制で臨む二大イベント夏休み中の「夏祭」、十一月第二土・日曜日の「ふれあい祭」を主催していること、これらを踏まえて地元住民の心に深く浸透しているといったことが挙げられようか。

住民の手でどろんこレース

 しかし、やはりマンネリ化との闘いはついて回る。とくにイベント開催にその傾向は強く現れ、これに対して住民は敏感に反応した。結果、水を張った田んぼの中を家族や仲間がリレーで競う「どろんこレース」を住民自らの手で生み出し、千人もの観客を集めるまでに成長。天狗踊りも自らの手で保存、伝えようとする機運も高まり、その保存会も結成。さらに、現在休止状態にある伝統行事の復活に向けた計画も進展中である。まさに運営主体が行政から住民へと移ってきた瞬間である。
 また、天狗ブランドの活用も見逃せない。本村は米のほか園芸作物の生産も盛んであり、特産のニラ、ホウレンソウなどに王国のシンボルマークを表示、ブランド化が図られ、天狗名が付いた農産物直売所が現れるなど、あちこちで天狗が増殖してきている。
 ふれあい祭で天狗踊りを踊る子供たちが登場するとき、天狗人口は一気にピークに達する。幼少期の記憶は一生もので、彼らが成長して仮に村外にその身があっても、誇れる村のネタとして天狗の姿が鮮やかに蘇るであろう。それが本村定住への足がかりにもなる。
 今、湯津上村は、淡水魚の展示種数、点数では日本一を誇る水族館がある栃木県立「なかがわ水遊園」のオープン、二〇〇二年開催のサッカーワールドカップ公認キャンプ候補地としての誘致活動の渦中にある。ここでも、羽団扇を手にした天狗があちこち飛び回りながら手招きする姿が見られそうである。

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