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青森県横浜町─日本一の菜の花畑
存在感乏しかった町が菜の花で“開花”
イベントで観光客増え、商品開発進む

横浜町企画課主事

田浦良次

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 日本一の作付面積を誇る菜の花畑。それを生かしたイベントの開催される五、六月には十万人を超える観光客が訪れ、町は活況を呈する。

半農半漁の町が幸い

 横浜町は、下北半島の首位部、陸奥湾に面した臨海山村で、なだらかな丘陵地帯に沿って土地利用がなされている。冬は北西の風が強く、初夏には低温と濃霧を伴うヤマセ(偏東風)が吹くため、ヤマセが長引く場合は畑作物の生育に悪影響を及ぼすことがある。
 基幹産業は農漁業の一次産業で、農業では米、ジャガイモ、長芋、漁業ではホタテ養殖が主体。どこにでもある小さな町、そこにはジャガイモの連作障害を防止するための裏作として、手間のかからない菜の花(ナタネ)が作付けされている。日本の菜種油は、外国産に比べて割高となっており、このため収益性が少ないなどの理由から菜の花畑の面積は年々減少してきた。そうした状況下にあっても、横浜町の菜の花はこの地域独特の半農半漁という就労形態により作付けが維持されている。「畑はあるが、漁業が忙しくて農耕に時間をかけられない」という理由から、栽培に時間をかけずにすむ半農半漁の特徴的な就労形態が生んだ産物ともいえる。
 今でこそ、「菜の花作付け日本一」を町民だれもが知っているが、日本一をつくるきっかけは「ふるさと創生一億円」だった。その使途検討委員会では、この町にあるもの、ないもの、変えたいもの、変えてはだめなもの、変えたいけど変えられないもの、などを議論している中で、ある女性が「昔は、田植えの時期になると一面の菜の花がきれいだった。今の何倍もあった」とポツリと話した。横浜町に生まれ育った人には、菜の花が咲くのは当たり前のことだったが、よそから嫁いできた人にとっては、一面に咲き誇る菜の花の黄色が、とても印象に焼き付いたようである。

こだわり続けて10年

 何もないと、だれもが思っていた町にも、いろんな財産が眠っていることを発見した。その一つが「菜の花」ということだ。しかも作付面積は約二百ヘクタールと日本一。住民や産業団体を含めた実行委員会を立ち上げ、「菜の花フェスティバル」が誕生したのが平成三年。マラソン大会やコンサート、モデル撮影会や迷路をメニューに入れ、町としては初めての対外的な誘客イベントが開催された。それからは富良野市、美瑛町(ともに北海道)などの景観づくりでまちおこしを実施している先進地を調査し、試行錯誤しながらイベントを開催してきた。フェスティバル当日だけでも三万人を超える観光客が訪れるようになった。
 県内で存在感の乏しかった町が、菜の花に着目し、そこに新たな価値を見いだし、徹底的にそれにこだわり続け、「菜の花フェスティバル」というイベントを開催して、今年で十年になる。こうした、一つのものへのこだわりが、町にさまざまな産物を生むことになる。
 反応が素早かったのは地域の自営業者。イベントの成果に触発され、自ら商品開発や販路開拓を行い、地場産業活性化の機運を高めた。
 地域住民の意識にも変化が表れた。菜の花で横浜町のイメージアップを図ることにより、「自分の住む町は、菜の花作付け日本一」を認識するようになり、対外的にも自信を持って出身地を名乗り、「菜の花」の話題からさまざまな交流がもたれるようになった。

「菜の花プラザ」もオープン

 平成十一年には、道の駅よこはま「菜の花プラザ」がオープンした。これは町、農協、漁協、商工会、森林組合で構成される第三セクターを立ち上げて、設立したもので、菜の花関連商品も八十種類以上となった。「菜の花プラザ」には商工業者の商品以外に、農水産業従事者も直接出品できるシステムとなった。
 とくに農水産物の直売コーナーは、「新鮮、安全、安い」と来客の反響も大きく、農漁業家の増収にもつながっている。地域特産品としては、菜の花関連グッズの品揃えをメーンに、菜の花入りのドーナツや地元酪農家の牛乳を使ったソフトクリームなどを販売している。
 また、フェアや商品陳列の際には生産者が直接、消費者の声を聞けるため、コミュニケーションを図りながら生産販売が意欲的に行われている。
 横浜町は、二十一世紀の田舎町として少子化、高齢化、過疎化など多くの難問を抱えている。しかし、こうした現象は多くの自治体が抱えている共通した課題でもあり、それを打開するうえで重要なことはコミュニティの主体性を発揮することと、すべての人に笑顔で接することではないかと考えている。

個々人が地域の主役に

「菜の花」を起爆剤に、町のイメージアップが図られ、菜の花が咲く時期にはフェスティバルを中心に、各産業団体も海から眺める菜の花ツアーやバーベキューツアーを企画するなど地域活性化の機運が高まっている。町では交流人口の拡大に伴い、さらに砂浜海岸海水浴場にコテージを建設し、滞在時間延長への取り組みも行われている。
 今後はコミュニティの最小単位である個人が主体性を持つこと。そして、自らが地域の主役となれるよう、あらゆるきっかけを人材育成の場にとらえながら、町の自然を最大限に活用したソフト事業と、自然景観に配慮したハード事業とのバランスの取れた事業展開を図り、都市部とは異なる豊かな生活圏としてのまちづくりを図っていきたいと考えている。

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