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「公は民を、民は公を」がキーワード |
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評論家 |
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草柳大蔵 |
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地方を歩くたのしみのひとつは、“とれとれ”の言葉にめぐりあうことである。言葉の鮮度が高いのは、発想や着眼が新しいからである。せんだっても、日本人の中に永い間眠っていた「公の意識」がやっと目醒めてきたことを中心に話をさせてもらったら、たちまちおもしろい話が返ってきた。
バブル経済のさ中、長期信用銀行や都市銀行が株式や土地への投資に狂奔しているころ、いくつかの地方銀行ではその種の投資を自制していた。いまもなお不良債権に苦しんでいる銀行のエリートさんたちは「なあに、地銀の連中は投資したくてもそれだけの体力がなかっただけの話だよ」と苦々しく言うが、これは彼らの思い上がりである。
地銀の頭取たちは、自分のところが土地に投資すれば地価の高騰を招き、お客さんの迷惑になる、という信念のもとに投資を抑制していたのである。簡単にいえばそういうことだが、ある地方の財務局長(大蔵省)の話によると、地銀の頭取はその地方の名士であり、県の公安委員や教育委員などの「公職」を経験している。その経験が「公益」の視点をつくり、「公益」と矛盾しない「私益」を追求させている、というのである。「その証拠に、関西の大銀行の頭取が大阪府の公安委員長になったという話を聞きましたか」と言われて、なるほど面白い視点もあるものだと感心した。
これからの視点は「公益」
地方の活性化を地方分権や町村合併の視点から論ずることも大切だが、現在進行中の日本経済に「公益」という経済要素が挿入されつつあることを、意識的に、積極的に取り上げるべきだと思う。
図に示すように、いまやどこの国の経済も、Iの国家を超えた「認識共同体(エピステミック・コンソオーシアム)」の発信する情報を不可欠な刺激策として取り入れざるをえなくなった。このことはすでにIIの「在来型企業」の中で、ゼロ・エミッション、部品再利用、商品の自然還元などの形で進められている。そうでもしないかぎり、企業は新世紀の中で生き続けられないことは明白になってきてもいる。戦後の経済を支配した大量生産・大量消費・大量廃棄という「大量」を機軸とする価値概念は、人類の「生存」という視点にとって代わられつつあるのだ。またIIIのカテゴリーに属するNGO(非政府組織)、NPO(民間非営利団体)、それにボランティア活動、さらにはPFI(民間資本による社会資本整備)の誕生など、新しい「公益」の担い手が大きく浮かび上がってきた。これからの日本経済、あるいは日本人の“社会づくり”“地域づくり”の仕事は、図の中のI・II・IIIの相互交流の中で進められるであろう。
つまり、「公」は「民」の活力や手法を取り入れ、「民」は「公」の視点を忘れずに財やサービスを提供する、そういう時代になったということである。

「省資源」テーマにした地域づくり
具体的に言うと、すこし唐突に聞こえるかも知れないが、私は先日行われた「首都機能移転を考えるシンポジウム」で、石井幹子さん(首都機能移転審議会委員)がこんど移転先につくる国会は木造にすべきだとの意見に賛成し、さらに木造にしたうえ新潟県の上越市が試みているようなISO(国際標準化機構)の基準による建物にすべきだ、そうすれば世界中から視察団が来ると発言した(平成十一年十一月十九日NHK金曜フォーラムで放送)。これは私の持論ばかりではなく、サハリンの油田開発が実現するまでは中東油田に拮抗力を持ちえないわが国にしてみれば、省エネの徹底化はこれからの国民的課題である。だからいますぐにでも、全国の市町村の役所をISO水準で改築・新築したいところだが、“その日暮らし”の思想がまだまだ強いこの国では無理なようである。だから、一気にやるということではないが、観光資源の少ないところ、誘致企業にとって魅力のないところ、人口増の望めぬところは、「省資源」をテーマにした投資によって新しい日本のスポットにすべきだと思っている。
「ガラスの天井のない町」の宣言を
第二は、「ガラスの天井のない町」の宣言である。熊本県が副知事に保育園を経営していた潮谷義子さんを起用して大成功したように、地方自治体や地元の基幹企業は経営幹部に優秀な女性を採用すべきである。「ガラスの天井」とはキャリアウーマンから出た言葉で、職場でせっせと仕事をしていると、いつか必ず目に見えない頭打ちを味わわされるというのである。アメリカに発し日本の女性にも肯定された言葉だが、高齢化・少子化が進む社会に「ガラスの天井」があってはならない。自治体や企業は、経営幹部を“公募”するか、あるいは福岡県の女性副知事のように“生え抜き”を抜擢することを考えてもいいと思う。女性をリーダーにした場合、その下に結集する女性のエネルギーにはすさまじいものがある。
地域連合もあってもいい
第三は、町村合併と地域連合の関係を慎重に考えることである。介護保険や廃棄物処理施設は小規模の町村では負担が大きすぎるので、たとえば鳥取県の西伯町が音頭をとって二町一村と介護保険について連合し、二カ月間で介護士を百人養成したうえ県から介護士の教育センターの認許権を譲り受けるなど、自立的な行政の例がある。一方、交付税特別会計の借入金が九九年度末に二十九兆六千億円に達する見込みもあって、人口四千人以下の町村に対する交付税を削減する勢いが加速されている。明治以来の「あまねく、ひとしく」は、町村合併による地方自治体の規模拡大の上にしか実現されないことはわかるが、もうひとつの現実問題として「介護保険」や「廃棄物処理」などテーマごとの地域連合もあっていいと私は思う。町村合併で、住んでいた町や村の名が消えることの文化的喪失感は癒しがたい。その喪失感の上に“まちづくり”“活性化”を説いても人は動くまい。二十一世紀に向けて、なにを採り入れ、なにを残すか、その議論を地元から起こさせる仕組みが必要だろう。
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