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伝統を重んじる「地域力」に新たな芽吹き
〜輝く「きむたか」の子どもたち〜
沖縄県うるま市は、人口117,487人、面積86.01km2の都市であり、沖縄本島中部の東海岸に位置している。現在のうるま市は、平成17年4月1日に具志川市、石川市、勝連町及び与那城町が合併して誕生した。「うるま」とは、沖縄の言葉で「サンゴの島」という意味を持っている。市内には、世界遺産の勝連城跡をはじめとする歴史的遺跡のほか、緑豊かな公園、植物園、ゴルフ場等があり、県外からの観光客や県内の行楽客でにぎわっている。 1 子どもたちへの危機感 ここで紹介する取組は、今はうるま市になっている旧勝連町の事業として開始されたものである。その背景にあったのは、子どもたちへの危機感である。平成12年ごろ、当時の勝連町教育委員会教育長の上江洲安吉さんは、無表情で覇気がなく、控え目で挨拶もまともにできない子どもたちを見て、将来に危機感を募らせていた。当時、上江洲さんは、次のように考えたのである。 「子どもたちを取り巻く環境は、決して良いわけではない。子どもたちに自己表現できる力をつけることや地域とのかかわりの大切さを教えること、子どもたちの健全育成のための居場所づくりをすることが必要である。」 2 地域の宝「勝連城跡」・「阿麻和利」への着目 子どもたちへの危機感を募らせていた上江洲さんが活用すべき地域資源として着目したのは、地域の宝である「勝連城跡」と「阿麻和利」であった。
この勝連城には、15世紀中ごろに阿麻和利という城主がいた。琉球王朝の正史によると、彼は琉球王朝に反旗を翻した逆賊として扱われているが、実際には住民を苦しめてきた暴君を倒し、勝連城主になった人物といわれる。 阿麻和利は、勝連城主であった当時、農業に力を入れ、東アジアを中心とする海外貿易も積極的に行った。このため、勝連は経済的にも文化的にも繁栄したといわれている。また、沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」において、阿麻和利を讃える歌が多いことから、当時の人々は彼を慕い、尊敬し、信頼を寄せていたことがうかがえる。 これらにより、以前から勝連城跡と阿麻和利は地域の人々にとって「地域の誇るべき宝である」という認識が浸透していたのである。 そこで、上江洲さんは、子どもたちの健全育成を図るため、改めてこの地域の宝に着目し、地域の英雄と讃えられる阿麻和利を題材にして、子どもたちが演じる舞台を上演しようと思いついた。このことは、元教員である上江洲さんが子どもたちに三線の演奏方法を教え、地域を巻き込んだ盆踊り大会の主催等に取り組んだ経験を踏まえてのことである。上江洲さんは、この経験から、文化を通じて子どもたちの心が養われることを実感していたのである。 3 現代版組踊「肝高の阿麻和利」の取組内容 以上のような状況を踏まえ、旧勝連町では、地域の誇りを再認識し、子どもたちの健全育成を図ることを目的として、町をあげて現代版組踊「肝高の阿麻和利」の取組を始めることとした。「肝高」は、「きむたか」と読む。これは、「おもろさうし」に見られる古語で、「気高い」、「心豊か」などを意味するものである。
町は、舞台を創るに当たり、@地元の中学生に演じさせること、A地域の伝統芸能を必ず入れること、Bできるだけ沖縄の方言を入れることを条件として、脚本を作家の嶋津与志さんに依頼した。また、舞台の演出は、嶋さんの紹介により平田大一さんにお願いすることとした。さらに、町は、舞台の成功に向け、勝連町教育委員会を主管とする実行委員会を作った。 次に、実行委員会のメンバーと平田さんが町にある4つの中学校に赴き、活動の開始時期や趣旨の説明を行い、募集の告知をしてまわった。この告知を聞いた子どもたちは興味を持ったようだったとのことであるが、実際に応募してきたのはわずか7人だった。その理由は、部活に入っている子や塾通いの子が多いこと、親が練習会場まで送迎できないこと、食事の世話ができないことなどであった。 これらの問題を解決しなくては子どもが集まらないため、送迎と食事については教育委員会の職員が対応することにした。また、舞台の進行、楽器の演奏、伝統芸能の歌や踊りなどについては、多くの地域の方々を巻き込んでいくこととした。 こうした努力が実り、平成12年3月には、記念すべき第一回公演が勝連城跡で行われ、大成功を収めることができた。この公演は当初は1回限りの予定であったが、出演した子どもたちから教育委員会に対し舞台を続けたいとの嘆願書が出された。また、子どもたちの熱意をフォローするため、保護者が「父母会」を立ち上げ、送迎や食事の協力をすることとなった。さらに、子どもたちと父母会の協力で作り上げられた舞台を見て、地域の人々も惜しみない声援を送るようになった。 その後、平成13年には、町が「きむたかホール(収容人数516人)」を新しく建設し、「阿麻和利」の継続上演の体制が確立されていった。しかし、平成14年には、町からの補助金がなくなったため、自主運営での公演に向けた取組が必要になった。そこで、「父母会」は、一緒に活動してくれる協力者を巻き込んで「あまわり浪漫の会」を立ち上げ、運営を行うこととした。現在の舞台は、子どもたち、あまわり浪漫の会、舞台の卒業生、現地ボランティアスタッフなど、数多くの支援者によって支えられている。 現在「肝高の阿麻和利」の出演者は150名程度で、うるま市内からの参加希望者はすべて受け入れている。参加する子どもたちは、この舞台を優先して、日常生活がおろそかになることがないよう、また、支えてくれる人に感謝し、その期待に応えるよう、自分自身の責任のもとで活動に参加している。 4 事業の成果−子どもたちの成長が地域を元気に 現代版組踊「肝高の阿麻和利」の取組は、どのような成果をあげているだろうか。まず「肝高の阿麻和利」は、関東公演や国立劇場おきなわ公演のほか、平成20年にはハワイ公演が行われ、その活動は海外にまで広がっている。平成21年10月現在では、公演回数は延べ160回に達し、観客動員は延べ10万人を超えるまでになった。
また、このような状況を知った他の地域の方々からも、参加希望の問い合わせがある。しかし、舞台に参加できるのは、原則としてうるま市内の中学校と高等学校の生徒であるため、うるま市内にある県立高等学校に進学する生徒もいるほどである。 さらに、現在では、この舞台に参加している子どもたちだけでなく、地域の子どもたち同士でも刺激を与えあっている。例えば、マーチングや野球などでは全国大会で良い成績を収めるようになるなど、物事に対して積極的に取り組む姿勢が見られるようになった。 加えて、指導者である大人たちも、この舞台の活動の影響を受け、様々な地域活動を行うようになった。 こうしてこの舞台を通して、地域が持つ「地域力」が向上してきていると感じている人は多い。例えば、勝連城への来場者数は、これまで年間に3〜4万人だったが、最近は10万人ほどに増えたこともそうした成果の一つといえる。 以上のような成果があがった理由としては、もともとこの地域に住む人たちが、コミュニティやエイサーをはじめとする伝統文化を重んじ、大切に受け継いでいたことがあげられる。 以上のような取組は、地域を超えて広がってきている。例えば、沖縄県内では浦添市、八重山諸島、那覇市等においても同様の取組が行われるようになってきている。県外では大阪府大阪狭山市において同様の取組が始まり、福島県南会津町においても同様の取組を検討しているようである。このような広がりの中で、「肝高の阿麻和利」の取組は、「子どもと大人の居場所づくり」のモデルケースとして注目されるようになっているといえるだろう。 5 新たなまちづくりへの取組へ 今後の事業の展望はどうなっているだろうか。まず平成22年には、勝連城が世界遺産に登録されて10周年を迎えるとともに、「阿麻和利」の舞台も10年目を迎える。これを機に「あまわり浪漫の会」は、通常の定期公演に加え、勝連城を舞台にした公演の実施を目指している。 また、交流人口の増加や雇用の創出につながるよう、舞台を観に訪れた人と舞台に携わる人との交流の機会をつくること、市内の宿泊施設と提携して市内に滞在してもらうことなどの方策も検討している。
■ あまわり浪漫の会 長谷川 清博会長のお話
最初の年、舞台制作の経験がない人ばかりだったので、人集め、チケット捌き、会場づくりなどを模索しながらやったことが大変でした。「きむたか」は「キムタク」、「あまわり」は「泡盛」に間違えられることもありました。「単なる子どもたちの劇」と思われないよう、子どもも親も必死になり、組織としての活動を軌道に乗せるまでが一番苦労しました。この苦労を乗り越えられたのは、ひとえに「子を思う親心」に尽きますね。 ●今後に期待することは何ですか? 「阿麻和利」は、今や地域だけのものではなくなってきました。後ろから追いかけてくる地域もあるし、中学生になるのを待ち望んでいる子どももいるので、常に責任を感じています。組織の維持や継続に力が注がれ、本来受け継ぐべきことが伝わらないといったことがないようにしていきたいと思うし、行政や地域の方々、応援してくださる皆様の理解が、この「きむたかホール」を中心に集まり、全国に広がっていくことを期待しています。
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