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| ギャラリー野月舎 〜ふるさとの学び舎に芸術の息吹〜 |
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| ●自治体Data | ||||||||||||||||||||
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野首小学校は昭和60年3月、学校統合により閉校した。当時、町では雇用と経済の面から企業誘致を進めていたこともあり、閉校と同時に電子関連企業が進出、校舎は社屋として活用された。 しかし、平成10年にその企業が低迷のため撤退することとなり、町は次代の校舎の活用策について地域と検討を重ねた。その結果「校舎は地域の象徴であり、文化的な目的で残す」方向性が決まった。 県の関係課に情報提供を依頼したところ、偶然、教室の広さや高さを求めている画家が紹介され、本人と面接。条件に合意したため貸借契約を締結し、町は老朽化した外壁等の改修工事を施した。 借主は日展会員の佳月優氏で、自ら描くアトリエを中心に作画活動を続ける傍ら絵画教室も開き、町内外の生徒が通うようになり、企業が操業していた頃とは全く異質の人の流れができた。 再活用後の取り組み 平成11年には企業が完全に撤退したため、佳月氏は6教室全てを借り受けての活動を始めた。築後50年以上を経過した木造校舎の内装は、企業の使用を経て傷んでいたが、芸術家のネットワークが見事に昔の風情を復活させた。 平成14年には「自分だけで使うにはもったいない」と1教室を地域開放型画廊「ギャラリー野月舎」として開設。町内外の様々な芸術家が個展を開く場として開放された。これにより町内はもとより県外からの来訪者も後を絶たず、閉校以来過疎の一途をたどっていた地区に、芸術を通した交流人口が訪れるようになった。 さらには、木造の風情を求めてここでの個展開催を望む芸術家達も多数訪れ、開催回数も増えている。 平成15年にはこれらの取り組みが評価され、文部科学省の「廃校リニューアル50選」に選定された。 これまでの効果 廃校のある野首地区は町の地理的中心にありながら、過疎、高齢化が続く中山間地域である。そこに「芸術」という新たな文化が移住してきたことにより、地域民は都市に出向かずとも一流の文化に接する機会を得ることができた。 さらにギャラリーの開設により、全国の愛好家が「野首」という地を目指して訪れることとなった。700人ほどの小さな地区に年間約6,000人が「芸術」のために足を運んでいる。このことも廃校の文化的再活用を選択した地区の大きな成果であり、また、町にとっては新たな交流拠点を整備したのと同じ効果を生んでいるのである。 利用手段がなく朽ちていく廃木造校舎が多い中、地域の願いと芸術が新たな息吹を与えた学び舎は、堂々と建っている。 今後の課題 地域にとっては身近なところで芸術に接する機会ができたが、随時開催される個展等に対する反応が今ひとつの状況である。来訪者の多くは地域外、町外であり、その利便性が活かされていない。高尚なものという先入観を払拭し、芸術が地域に根ざしたものとなるための取り組みが求められている。 さらに、地域が個展と合せたイベントを開催できれば、芸術を通した地域振興も実現でき得る。そこから内外に発信できる芸術村への発展も視野に捉えられる。 校舎も年を追うごとに老朽化しており、また、破損した瓦と同寸のものがすでに作られていないなど、木造の良さを保持しつつ施設を維持することも今後の課題である。
自治体Data
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